高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします







高橋信次先生講演


「 現代宗教と人生の目的 」


71.3.14 東京 高田馬場 観音寺 にて


本日は私達の現在、生きているということと、死という問題について、現代宗教というものが、どのように変わってしまったのか、そして私達が人生を、どのように生きていかなければならないのか、このことについて歴史を追って考えてみたいと思います。

人類はこの地上界に約2億年前、他の天体から天孫降臨し、この地球という場は、神の体であり、その神の体を、現象界•場として、私達はこの場に適応した肉体を神が保存し、先祖来々、私達は現代まで、このようにして、この地球という場を神の子として、私達は現在も修行している身であります。

所が肉体を持ってしまうと、私達の多くは、自分の生まれた環境や、或はまた、教育•国の思想、こういうものによって、本来、人間の使命というものも、忘れがちなのであります。その為に、経済的に不調和な環境に生まれれば、己自身をも貧しくしてしまいます。或はまた、経済的に恵まれている環境に生まれた人々も、その経済の安定した中で、なまぬるい人生を送ってしまいます。

今までの宗教の中では、殆んどの人達が形造ったものを祈って、己自身の他力的本願によって、幸せを得ようとしております。しかしこのようなものが、神理でありましょうか。
人類はこの地上界に出た当時は、殆んど心の眼は調和され、全く次元の違った世界をも、見通す能力を持っていたのであります。子孫が増えるに従って、その保存的本能が自我我欲に変わり、本来、神の子である所の観自在の能力を、自ずからの想念と行為によって、神の光を閉ざし、偉大なる神の子•仏の子としての知恵を、自からが遮蔽(しゃへい)してしまっているのであります。
その過程の中に、我々人類は、この地球上以外の天体、あの世から光の天使達が、幾たびか、この地上界に出て、人々の心に神理の芽を与えているのでありますが、幾たびかの天変地変を経て、人類は、ようよう現代にまで到達してまいりました。

人類は、この地上界に出た時に、その神理というものは、皆、神の子であり、仏の子であり、人類は、皆、兄弟であるということを知っていたのであります。所が私達は、生まれたその環境、経済的地位、名誉、そのようなものに、うつつを抜かして、本来、人間の使命というものを忘れ去っているのです。

神理というものは、今も昔も一つとして変わっておりません。現代もっている所の物質文明、そして皆さんの肉体は、人生のただの修行の為の乗舟にしか過ぎないのです。所が皆さん自体の肉体の支配者である皆さんの意識、即ち魂は、過去も現在も一つとして変わっておりません。そして現代の皆様の心の在り方と生活行為そのものが、過去•現在にわたる所の集約された、皆さんの人格であり、過去世のまた姿でもあるのであります。

かつて今から2500有余年前、インドのマガダ国に於いて、カピラバーストの王子として、ゴ一ダマ•シツタルダーは、人間自身がなぜ生まれ、年をとり、病気をし、死んでいくのか、生老病死という、この苦しみの原因を、どのようにして脱皮する事によって、安らぎを得るであろうか。
外へ出てみれば、城の中の生活と裏腹に、余りにも厳しいカース卜制度の中に於ける人種差別。太陽の熱•光のエネルギーは、地位•名誉•環境に拘わらず、皆平等に与えているにも拘わらず人間の造り出したる所の社会は、永い歴史の中に築き上げられた所の、白己保存•自我我欲に基づく人間の社会機構が不調和な生活環境を作り出してしまいました。
城の中の生活と、外の生活が余りにも違い、人種差別、そのような問題を解決するのに、どのようにその道を治めればいいのか。当時は戦乱の世の中の為に、人間同志、なかなか信ずることは出来ません。
城の中にいても、いつ毒殺されるか、或は刺し殺されるかも分かりません。いわんやまた、生まれて一週間目にして産みの母親であるマヤといわれる方が亡くなってしまいます。いかに優雅な生活をしようとも、心に満ち足りる事の出来ない生活が、自(おの)ずと無常を呼んでくるのです。

そのような環境にいて、29歳、カピラバース卜を飛び出してアララ力ラマーという仙人のもとに走り、人間の生老病死の苦しみを、どのように調和すればいいか、6年間、山中に於いて、肉体的な、精神的な、あらゆる苦行を重ねてきたのであるが、その苦行の中から、人間自身の己の心の調和を図ることは出来なかったのであります。

結局、ビンピサラーという王様の支配している所のマガダ、ウルべラというネランジャ河の畔りの小高い丘の上で、6年間の肉体苦行に対して得るものがなく、ただ朝早くにチュダリヤ•チュダ一夕という女性が、”弦の音は強く締めれば切れてしまい、弦の音は弱くては音色が悪い”、弦の音は、調和は締め具合によって、中道である、調和された音律が出るのだ。このような民謡を聞いた時に、人間自身の人生が中道、極端な肉体修行でもなく、或はまた優雅な城の中の生活でもない。人間自身の修行の道、悟りの道は、その両極端を離れた所の人生の中にあるのだということを発見したのであります。

その結果が、人間らしく生きること、八正道。正しくものを見る、正しくものを思い、正しく語り、いわばこの八つの道を修めることによって、己自身の心というものを調和することが出来るのだ。一週間の禅定の結果、己の心と宇宙の心が調和されて、大きな体に変わっていきます。それは自分自身の原子細胞、肉体の支配者である所の意識•魂の肉体、これが無限大に大きくなっていきます。その時に初めて、宇宙即我という心境に到達していきます。
このようにして、生老病死の原因を追及し、その苦しみを調和することは、八正道である。その実践活動45年間、多くの弟子達の中から傑出した人達が出て、諸々の衆生を救っていきます。81歳の生涯にて、クシナガラでこの世を去ります。

滅後90日目に於いて、当時の弟子達を中心に476人の人達が45年間説いた神理をそれぞれ区分して、後世の人々に伝えようとしたのであります。それはあくまでも経文ではなく、人間として人間らしく生活する姿、このものを教えたのでありますが、2世紀にナラジュルナという方がバラモンから出まして、ゴーダマ•シッタルダーの説いた神理は、大きく 5つに分けられたのであります。

更にまた五世紀に、天台智額が最後の法華経の分野を説きはじめ、摩訶止観という一つの理論体系を作り、一念三千•宇宙即我の神理を後世に伝えたのであります。八世紀に日本へ伝わってきた時には、いつの間にか学問的な仏教に変わり、続いて12世紀、13世紀になるに従って、他の宗教に変わっていきました。他力本願、偶像崇拝、形あるものを私達は拝む対象として、もって来たのであります。

しかし私達が、なぜ他力にもっていかなければならなかったか。親鸞の当時に於いては、世相は乱れ、95%からなる所の民百姓達は、僅か5%の犠牲になった。権力の上に、どうすることも出来ない社会機構であります。そのような時代の人達には、人間はこの世限りではない。あの世の存在、即ち、阿弥陀浄土のあることを説かなかったならば、人々は人間として生まれてきた所の目的と使命も解らず、地獄へ落っこちてしまいます。当時の人々には、このように他力の道を説かなかったならば、神•仏の世界ですら信ずることが出来なかったのであります。

このようにして、現代社会に至って、いつの間にか人間の心の中に、不調和な想念が、動物霊に支配され、本来、人間の本性というものを忘れ去り、ただただ、お経をあげる事が信心の如くに変ってしまいました。

神理というものは、そのようなものではありません。まず、神というものはどういうものであるか、仏というものはどういうものであるか。私達のこの住んでいる地球という環境も、大宇宙体の中の、しかも太陽系の一つの小さな惑星にしか過ぎないのです。大宇宙から顕微鏡で見た所で、この地球という環境は、ほんの点にしか過ぎません。
この大宇宙体を支配している所の意識こそ、神であり仏なのです。

太陽の熱•光のエネルギーを、1秒間に200万トンからの石炭を燃焼した熱を、この地球にただで与えております。そしてしかも太陽系一族郎党は、1秒間に20kmの速さで、水星•金星•地球•火星•木星•土星•天王星•海王星•冥王星と、3万数千個からなる所の衛星集団を引き連れて、アンドロメダ星雲の方向に飛んでおります。今もこの地球は、太陽系と共に、自転•公転をしているのです。

即ち、神の体の一部分、一つの細胞に住んでいる人間です。その人間が、神の体であるこの地上界に、調和のとれた、人々の心と心の調和によったユートピア•仏国土を造ることが、本来、人間の使命なのです。それと同時に、皆さん自体が、人間の転生輪廻を続けていった所の、善•悪に対する皆さんの意識に記録されている所のカルマを、悪業を修正し、善をより高い所へ伸ばしていく為の修行が、現在の皆さんの姿なのであります。

それは、物質に対してエネルギーが共存しているように、そのエネルギーを皆さんは目で見ることは出来ないはずです。しかし物質である以上、そのものも原子構造に於けるニューブロ卜ンのバランスを崩してやれば、莫大なエネルギーに変わっていきます。例えば1gの物質をエネルギーに換えてしまったならば、746ワット、即ち、ここにある所の電球が約7個分、それをタダで3000年間も点灯することが出来るのです。1gの物質が746ワットの1馬力のモーターを3800年、それだけのものを運転することの出来る能力をもっているのであります。

これがエネルギーです。

いわんや太陽が、あれだけの熱•光のエネルギーを出している核爆発、あのものが、どのくらいの質量をもって、無限犬に近い放射的な熱•光のエネルギーを出しております。それを計算してみれば解るはずです。そしてこの熱•光があるからこそ、私達はこの地球に住んでおられます。

71%からなるこの地球の水圏、湖水•沼•海、このような水が蒸発して、地球にまた陸地に慈雨を降らせ、植物はこれを吸収し、また2酸化炭素を吸収し、光合成によって、澱粉や蛋白質や脂肪を植物は作っております。そして我々から排泄されたものが、また植物の栄養になり、我々はまた植物から、皆さんの血や肉や骨になるものをとっております。このように大自然界、即、神の体であり、熱•光のエネルギー一切、その環境が神の慈悲であり、愛であるはずです。

所が特定の宗教家達は、罰が当たるとか、或は祈らなければ不幸になる、このようなことを言っております。私達は神の子であり、神の子として神の体の中の、この大神殿を人々の心によって、調和を図るという使命によって出ている所の私達に、なぜ神は罰を与えるでしょうか。

太陽の熱•光のエネルギーと同じように、神もまた、地位•名誉•経済力、そんなものに全く関係なく、人間には皆、平等に慈悲と愛の光を与えているのであります。その慈悲と愛の光を、皆さん自体の心の想念の在り方、日々の生活の中に、心の調和のされている人達が、神の光を己自身が受けるが、人間が己だけの自己保存•自我我欲、そのような心をもっている時には、自ずから神の光は、自分が覆(おお)ってしまう為に入ってはまいりません。

所が、現代の社会をご覧なさい。原始共産制体の時代から、どんどん私達の進化は始まり、現代社会に来るまでの過程には、武力によって封建社会を作り上げたものから、更にまた、資本力によって社会を支配し、更に最近はその反作用として、上部層と下部層の間に於いて、闘争の中に文明が発達していくんだ、マルクス的なものの考え方、現代思想に、果して心があるでしょうか。皆さん自体の生活の中に溶け込んでいる所の電化製品にしても、これは、ただの皆さんの生きていく為の、生活の知恵にしか過ぎないのです。

そのような、目に見える、肌で感ずる所の、私達は一切の諸現象に惑わされて、自分自身を失ってしまいます。皆さんの現在もっている所の、私の話しを聞き、見、このような五感を通して見るものは、客観的にしか捕えることは出来ないのです。ただ、五感を通して聞いたものが絶対であるということも、また危険なのです。

一番重要なのは、五感は人生の乗舟の一つの器官にしか過ぎないのです。この舟の船頭さんである所の、皆さんの意識•魂、これこそ永遠に変わらない、生まれることも、滅っすることも、増えることも、減ることもない、永遠の生命なのです。その永遠の生命の修行の中に、人間は永い転生輪廻の中に作りあげてきた所の、善悪、闘争と破壊のカルマを、私達は今、修正しなければならないのです。

皆さんはこの地上界へ出てくれば、私は日本人だ、俺はアメリ力人だと思っているが、あの世へ帰れば、皆、兄弟なのです。地球の人類はみな兄弟なのです。他人などありません。ただ、幽界の低段階には、日本国と同じような社会が構成されております。続いて、心、の調和されるに従って、段階の世界が存在しているのです。

皆さん自身が肉体を持ってしまえば、何も解らない。人は自分自身の考えている心も、解らないと思っているが、残念なことに、それは昔の話しです。皆さん自体の心の中に考えている事も、実在界•あの世、この3次元の世界以降の4次元以降、多次元の世界に於いては、皆、見通しなのです。次元の違った世界です。私達の現在、この住んでいる所のX.Y.Z軸の立体の3次元の世界に対し、私達はこの世限りだと思っては、とんでもない間違いです。

それなら、物質にエネルギーが不滅であるという、物理法則が成り立っております。皆さん自体の肉体の支配者である意識•魂、この魂の永遠である事実。魂なぞない、意識なぞないと思うなら、皆さん自体が眠っている時に、なぜ五体の諸器官が完全に活動しているにもかかわらず、眼も見えない、耳も聞こえない、臭覚も味覚もない。この事実を皆さんは何と説明しますか。更にまた、皆さんの精神的に悩む、苦しむ。この精神的という、全く次元の違った皆さんの肉体の船頭さんである所の魂の疲れ、意識の疲れ、心の疲れ、これによって、なぜ肉体が疲労するのですか。それは、何んらかのエネルギーを消費しているからです。仕事をなし得る能力というものは、エネルギーといいます。我々が疲れるという原因は、精神的の方が遥かに、肉体疲労をするはずです。船頭さんが悩んだからです。

その皆さんの心の在り方が、審議をせずに、五感だけで人生を渡ってしまう為に、人間本来の姿を忘れてしまいます。いくら頭が良かろうとも、いくら学校を出ようとも、心のない人間が増えれば、増えるほど、社会は混乱に陥っていきます。

闘争と破壊。皆さんの60兆からなる所の細胞集団も、一つの細胞が狂っても大騒ぎする答です。神の体である所の、この地球上の人類の心と心の調和も、また同じなのです。人間の闘争本能というものが、ケニヤの動物と比較する人達がいますけれども、ケニヤにおる所のあの猛獣達も、己自身に足ることを知っています。腹一杯になれば、他の動物を襲いません。しかし人間は、欲望という物凄い強欲により、己が足りても、他のものを、また己の執着の為に犠牲にする人達が多い答です。

人間は神の子、万物の霊長です。人間そのものが、足ることを知る時が来たのです。物質文明がいかに発達しようとも、お互いに労使の間に於いて、闘争と破壊を繰り返しているならば、物価はいつまでたっても、釣り上っていきます。それにはまず、感謝と報恩という、根本的な心がないからなのです。私達は太陽の熱•光のエネルギーや、万象万物があるからこそ、生活できるのです。その大自然の太陽に感謝する心は、即、我々の、人、隣近所、その周辺の人と人との心の調和、お互いに足らぬ所を協力し合う心が、本当の感謝の行為なのです。報恩なのです。

我々はこのように、自然というものに甘え、自分自身のただの五感だけで、人生を送ってはならないのであります。皆さんの心、そして皆さん自体の肉体を下さった両親、先祖、我々は当然、肉体の修行場を与えてくれたことに対する感謝の心。自分自身が望んで貧乏人を親に選んだのも、金持ちを選んだのも、地位•名誉の環境を選んだのも、実はあの世に於いて、次元の違った世界で約束してきているのです。それを人間は、自分自身が悪い所へ生まれると、私は過去世で悪いことをしたから、このように苦しむのだ。このように自分自身を卑下してしまいます。

イエスキリス卜に於いても、あのイスラエルに於いて生まれた、ただの左官屋の息子です。モーゼもまた、親なし子です。流されて拾われて育ったけれども。
このようにして皆さん、皆さん自体の生まれてきた環境から現在まで、自分自身の魂の修行場であるということを、皆さんは自覚しなくてはなりません。どのような環境であろうとも、自分自身の船頭さんが、しっかりしておれば、間違いを犯すことはありません。それを不自然な宗教に、自分自身の安らぎを求めて、ただ祈ることによって、皆さんは益々、己を失っていきます。いかに偉大なる教祖であろうとも、皆さんと同じく、あの世へは、時が来れば帰るのです。重要なことは、皆さん自体が神理に沿った日々の生活、この中に真実の人間として生きていく道があるということなのです。

我々はこのようにして、その時代に生まれた、皆さんは皆、同期生なのです。あの世へ帰って、昔話しをする時も、やはりあの時はこうだった、ああだった。人間として、神の子として、もう少し、多くの人々を救ってくればよかった。このように感ずる人達が、現代社会の99.9%です。末法の世になった為に、特に日本は、古い因習の中にこもった環境の中に、不自然な思想的な問題によって、心を失っている人達が多いのであります。その為に地獄界に落ちている人達が、いかに多いことか。

私達は、自分自身をもう少し素直に、己を見ることが必要であります。形造られた形式ではなく、全て神理は日々の生活の中にあるのです。皆さんがこの地上界に出てしまうと、表面意識がただの10%しか出ておりません。90%は潜在しております。これは般若心経の中に、摩訶般若波羅蜜多心経、こういう言葉があります。この言葉は、皆さん自体の潜在された、この90%の皆さん自体の意識•心の中には、何億万年、輪廻転生してきた所の、偉大なる経験された宝の倉庫がおるのです。それを皆さん自体が10%の日々の生活、心、行い、こういうものが調和されていった時に、皆さんの偉大なる般若の知恵が涌現し、それは皆さんの心の中には誰もが存在しているのです。

その為に、皆さんが毎日毎日の生活を、怒る心、誹る心、自己保存、自我我欲の心を捨てて、人々の行為がすべて調和し、正しいことを思う。例え心の中に、怒る心を持っても、己を犠牲にする為に、私さえ我慢すればいいのだと、皆さんの心の中の鬱積を払い去らなかったならば、いかに形だけよく見せた所で、これは無駄なのです。

そうして皆さんが、いつの日かこの世を去る時に、この潜在意識の窓が開かれている人達は、次元の違った世界に、上段階へ進んでいきます。そして皆さん自体の現在の心の状態が、即、皆さんのこの原子細胞が核分裂している所の、生ずる一つの光子、光の粒子、この光の粒子が後光となって、皆さんの姿にあるのです。

それが昔から、仏像やイエス様の像に後光というオーラが出ております。これは皆さん自体の心の調和度、心の在り方、これが、即、皆さんから出ている所の光の状態なのです。
神の光はまんべんなく平等に与えられております。それを自分の心の在り方が曇りを作って、暗くしたり、明るくしているのです。そうして、この世を去る時に、皆さんも、肉体から出てくるものは、現在皆さんと同体である光子体、これがあの世に帰る時の皆さんの肉体です。

その為に私達は、この地上界という所は、最も固体的な、修行するには、厳しい善と悪がミックスされた世界の為に、苦しみ・悲しみを皆さ んは味わっていきます。それが修行だからです。
こういう環境の中で、心というものの偉大さを皆さんが知って、神・仏は皆さんの心の中にあるのであり、この地球という場は大神殿であり、人間が形作った、小さな、浄財と称するものから集めて作られたものよりか、遥かに立派な大神殿なのです。浄財と称するもので、あらゆる所に大神殿を造った所で、それはただの信者の犠牲にしか過ぎないのです。その金があったならば、まだまだ救える可哀想な人達が一杯いるはずです。そういう人達に愛の手を差し延べてやることも、神の子として、当然の使命だということなのです。

私達はこのようにして、心というものが、いかに悠大であるか。あの世から見れば、皆さん自体の日々の生活は、一目瞭然なのです。皆さんの意識の中には厳然として、この地上界へ出てきた所の、一切の善悪に関することが、心のテープレコーダーに、皆さんは、みな記録されているのです。心の中で思っても駄目です。神理に叶った日々の生活、そして正しい心の在り方である人達は、心の中は奇麗です。それは決して、形や見せかけではないのです。
いかに立派な洋服を着、 いかに社会的に地位があろうとも、慈悲と愛を失って、己の金と地位・名誉だけを追っている人達は、哀れな人達です。いかにまた、経済的に何十億、何百億の金が、今、あろうとも、己自身に足ることを知らない人間は、このような人は貧乏人です。

自分自身が一心不乱に仕事をして、その中で心の安らぎをもって、家の中が平和に暮らしている人達は、そのような人を富める人というのです。足る事を知らない人達は、いつの日か、己に暗い想念を持って地獄へ落ちていきます。その中で自分をいかに反省しようとも、すでに手遅れです。

私達は、よく自分自身というものを知り、物質経済という奴隸から、己自身を解放することなのです。物質経済も、その奴隸から己を解放した時に、よりこの地上界に於ける所の物質文明は、発展していくのです。そしてこの地球上の文明は、やがて他の天体に伸び、人類はまた、その天体に行く事になります。今はその過渡期です。

暗い想念が集まれば、その家は暗くなり、またその国に住んでいる人々の心の不調和は、その国の暗い想念となって、神の光を遮ってしまいます。その結果が、あらゆる天変地変を起こしてまいります。皆さんの心の不調和は、皆さんの肉体的現象となって現れてくるように、その国に住む人々の心の不調和は、即、その国の現象となって、天 変地変が起ってくるのです。決して私達が、地震学的に起こるというものではないのです。そういう事を人間は忘れて、地震も、肉体の天変地変も、あたかも自然に起こるかの如く思っているが、その国の人々の心の調和度なのです。そういうことを皆さんが知った時に、神の体である以上、もしそこに住んでいる人間が、慈悲も愛もなく、闘争と破壊の心で、人生を送ってしまったならば、そこにはやはり天変地変という現象が起こってまいります。
遠く今から1万年前に、あの大西洋に陥没した所のア卜ランティスも、人々の心が物質文明の奴隸となり、そして彼らは心を悪魔に売り、心の 奇麗な人達を喰い殺しました。その結果において、あのアトランティスも陥没してしまったのです。日本も同じです。

私達がこのような事をよく知った時に、この地球の場は、人類の心の修行場であるという事を知り、毎日毎日の生活が、いかに重要であるか。

私の言わんとする所は、インドの時代のゴ一ダマ・シッタルダーの神理に帰れということです。
一方に於いて、2000年前にあのイスラエルに於いて、悩める多くの人々の心を救ったイエスの時代に帰ることなのです。

人々が永い歴史の中に培われた偽我と闘争と破壊、このようなものによって培われた真理は、すでに我々に光を与えません。その光は、皆さん自体の心の中にあるのです。その心の中の偉大なる知恵を、皆さんが開発した時にぱ、神の子としての自覚が生まれ、人類は皆、兄弟だということを、皆自身が悟ることが出来るのです。それは決して神の力でもなく、その神理沿った毎日毎日の生活にあるということを、皆さんは知らなくてはなりません。

私達は、稲荷大明神だの、或は鬼子母神だの、観音様だ、不動明王だ、或はまた龍神様だ、いっぱい人間は祀っております。或はまた、家庭の中に不調和があって、こういう霊が憑いているといえば、直ぐその教祖や、或はその教え、指導者達は、祠(ほこら)を作って祀(まつ)らせてしまいます。祀る事によって、彼らは浮かばれる事はないのです。いわんや、最近の稲荷大明神も、或は龍神様も、動物霊です。皆さんはその動物霊を見分けるだけの力があるならば、祈りなさい。自分の心の中に、足ることを知らずに、私利私欲を貪ろうとして、神仏に祈るのなら、本日限り、止めることです。

皆さんが、心の神理を知って日々の生活をする時には、必然的に神の光が平等に与えられているのです。それは八正道の神理の実践の中に、感謝と報恩の生活をしてご覧なさい。人間である限り、人間は間違いを犯します。その間違いに対して、人間だから、我々は反省することなのです。修行場である以上、我々は誰も失敗もし、間違いを犯します。その中で我々は、間違いを反省した時に、神の光は皆さんの心の中に、燦々として照らされるのです。

所が反省もせずに、病気になると、その原因すら私達は追及することなく、ついには祈ることのみが信仰に変わっていきます。病気になれば、お前は信仰が足りない、罰が当ったといいます。皆さん、そのようなものに騙されてはいけません。形ではないのです。皆さんの心こそ、偉大なる神の子なのです。その神の子の皆さん自体が、心を開き、神理を知り、生活をした時に、安らぎという境涯に到達してゆくのです。決して私達は、闘争をし、そして破壊の人生を歩むものでもなく、人間として生まれてきた目的をよく知り、人々と心と心の調和の中に、真実の安らぎが生まれてくるということです。

稲荷大明神にしても、或はまた、八大龍王や、他の龍王達も、実はこの地上界に住んでいる人間以外に、他の動物もいます。あの世にもおります。あの世の万物の霊長以下の動物達を支配し、神理を教える役目の人達が、皆さんのよく言う所の、龍王とか、或は稲荷大明神なのです。その人達がボサタ一(菩薩)という上段階光の指導霊になる為の過程の修行なのです。あの世に於いて、この人類よりか遥かに多い爬虫類の支配者、それが光の天使です。所が、それを知らず、皆さんの心の私利私欲の深い人達が、そのようなものを拝んで、心の意識が通じてしまう為に、神理を悟らない稲荷大明神と自称するものが出てまいります。そうして、皆さんの意識に、最初は仕事を手伝ってくれて、うまくゆきます。その内に人間は忙しくなり、経済的に安定してくると、感謝の心を忘れ、動物的本性を出して、色々、家庭の中に不調和の種を蒔いていきます。これが稲荷大明神と自称する動物霊達なのです。しかし彼らも神の子なのです。

私達は、自分の心が神理を知った日々の生活をしている時には、他力ではなく、自力なのです。その中に本当の、そういうような不調和なものに通じない心が出来てくるのです。皆さんが現象を見て、即座に現象化された時に、果して見えたのが、皆さんの飼っている猫や犬に、頭を下げて、手を合わせて祈りますか。目の見えない人達が、そのような現象面を追って、祈ることによって救われ、祈ることによって、家の中の商売が繁盛するという間違いを犯してはなりません。皆さんが、よく見えて、現在は人手が足りないから、動物霊の狐にでも協力して貰う。そうして狐をよく見張って、お前、お客さんをもってこい。お前はこのようにしろ。それだけの皆さんに能力があるならば、稲荷大明神を信仰しなさい。また動物霊も同じです。そういう能力のない人間が、最も危険な動物の姿の中に、己の心を埋 没させてはなりません。そういう能力を持っている人達が利用すべきで、それがいつの間にか信仰の対象になって、稲荷信仰だの、或は龍神信仰になって、龍神様といえば蛇だ、残念なことに。龍王という龍神は蛇ではなく、光の天使であり、彼らは動物霊に神理を教えている所の天使達なのです。その天使達が、一番大変な修行です。人間なら、まだ話せば分かるが、動物達は解りません。それだけに苦しい修行。そういう過程におられる人達が、本当の龍神や、或はまた稲荷大明神と称されている方々です。

インドでハリティ一という方で、日本では鬼子母神と言われておるけれども、こういうようなものも、また同じです。これはインドの頃のゴーダマ•シッタルダー釈迦牟尼仏の比丘尼の一人です。

神理は実践です。それは自分自身が望んで手を伸ばさなかったら、 手に入らないのです。いかに上手に絵に描いたお饅頭でも、口には入りません。実行することが大事だということを、皆さんは知って頂きたいのであります。

このように、人間が分からない内に、あらゆるものを信仰し、現象が出され、いつの間にか、動物霊や、或はまた他のものに支配されて、俺が教祖だ、俺が神だと名乗る人達に、皆さんは警戒しなくてはいけません。皆さんは、皆さんの心の中こそ、偉大なる神の子であり、しかもまた偉大なる知恵の持主だということを、知らなくてはならないのです。
そして色々なものを、皆さん自身が、よく信仰の対象としていただいているものがあるはずです。そういうものも、絶対ではなく、力ミは力ミでもペーパーの紙を祈って、なんになりますか。

皆さん自身の心の中にある偉大なる所の知恵を、皆さんが、調和と安らぎの人生を送った時には、自然とあのラジオの1次コイルと2次コイルが、全く関係のない空気の絶縁体の中を、電波は完全に電気的現象を起こして、相互干渉作用を起こすように、皆さんの心は、調和されていけば必然的に10%の表面意識と潜在意識が調和されて、皆さんの過去何万年の輪廻転生の偉大なる知恵が涌現してくるということを知って頂きた いのです。

このようにして、皆さんが一番重要なことは、己を知ること、己を調和する生活が、それを1週間、2週間、実践してみて下さい。その時に皆さんが本当に人間としての、生まれてきた目的や使命を、そして人生というものが、いかに有意義であるかということを、心の中から自然と 涌き出てまいります。
本日の講演は、これで失礼さして頂きます。(拍手)



 - 完 -





はじめに
★念願の信次先生講演集第一集
今から10年前、小生ももう50才、手持ちの信次先生の講演カセッ卜テープをこのまま埋もらせてしまってはもったいない、後世の人々に残すべきと考えて、講演テープのワープロ化を始めた。それから10年、小生も満60才、還暦を迎えた。会社も本年3月で定年退職したので、暇も出来たので古い原稿を書き直し、ワープロ化した。当初は自費出版全国発売と意気込んでいたが、著作権の問題がからんでいるので、「ホームとじ太君」を買って、ワープロコピーの簡易製本した。いずれは著作権の問題も解決し、一般書籍として全国の本屋での発売としたい。

★八正道は人生を渡る方程式
オーム事件でも分かるように、人生に不安と疑問を持って宗教にその解決の糸口を求める若者も非常に多い。しかし他力信仰の現代仏教やその他の宗教から、真の解決法を得ることは出来ない。一歩間違ったら、とんでもない結果が待っている。ただお布施のみを強要され、気がついたら全くのアヘン患者になっている自分を発見する。末法の時代には、永遠に変わらない大宇宙を支配する神の意志、神理正法が説かれているのに、これを正しく認知する人は非常に少ない。八正道こそ、人生を渡る永遠に変わることのない方程式である。迷える人々を救うには、これしかない。諸法無我、大宇宙を支配する神の意志は、人の知や意が入らない。法を理解し、実践するのは神の子として当然のこと。

★聖書は心の原点
旧約聖書は永遠のベス卜セラー、心の故郷である。高橋信次先生は、仏教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズ一教、これらの宗教を一体化する為に法を説かれた。しかしそれを理解する人は非常に少ない。それだけ心ある人々の数が少ないということである。心ある人はそれぞれ信次先生の説かれた神理正法を後世の人々に残そうとして努力しておられる。こうした地味な努力が、いつの曰か実を結び、正しく神理正法は伝えられていくことだろう。人は永遠の転生輪廻を繰り返している。しかし今回は偉大なる転換期である。3億6千数百万年の大周期なのである。信次先生最後の講演、1976年6月の東北研修会でそれを明らかにされた。人類は旧約聖書に述べられているノアの箱船の大洪水も幾度か経験した。ルミジア(レムリア)に厶一にアトランテイスに過去7 回の天変地変を経験した。人類は地球という環境を調和し、平和なユー卜ピアを建設し、次の天体を求めて旅立たなくてはならない。

★デフレ経済の中で
今、日本経済は緩やかにデフレ環境に突入しつつある。デフレからの脱出は容易ではない。戦争か革命か天変地変か、何か巨大なる力が働かない限り、デフレから抜け出すことは出来ない。資本主義制度の欠陥が、今、芽生え始めたのである。信次先生は早くからこの事を指摘されておられた。即ち、資本主義も社会主義も、全て物と金を目的としたものであり、人間社会にとって最も大事な心を不在としたからである。デフレは日本経済が死滅する不治の病である。それだけに、今という時間を大切にしなければならない。自己というものを確立していたら、どういう 事態が起ころうとも、解決策を見いだして乗り越えてゆくものだ。信次先生は年頭の言葉として、今年の目標も自己確立ですとよく言われた。

★人生は希望を持って
犬養道子氏のお嬢さん放浪記は、読者に希望と勇気を与えてくれる。かように光の天使の言葉や著書は、読者に生きる喜びと勇気を与えてくれる。そこに真実のものが述べられているからである。犬養道子氏は実際にカンボジアやべ卜ナムの難民救済に、現地に行き、活動されている。真の人生の目的と使命は、信次先生によって、始めて我々の前に明らかにして戴いた。このかけがえのない神理正法こそ、人類の宝物である。しかもあの世の生活の基準は、全てこの地上界で培ってきたその人の心の在り方によって決まる。それは八正道の実践のみによって得られる。
それだけ神理正法は私達にとって大事なものなのである。
1995年文化の日 自宅にて 谷ロ禎




当原稿は京都在住の谷口禎氏より贈呈頂きました。 谷口氏は高橋信次先生在世中、古くからのGLA会員で、正法関連の古い資料を保管されていました。これら資料を後世に残すべく整理されながら地道に正法を伝道されていましたが、2016年11月81歳で逝去されました。高橋信次先生を直接ご存じの方々も段々と居なくなられてさみしい思いが致します。
谷口禎様のご冥福を心よりお祈り致しますとともに、
天上界での益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。

感謝をこめて 合掌  2017.02.11 建国記念日に



2017.02.11(土曜日) UP



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