高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします







元国際正法協会岩手支部 田口氏 編集冊子をUP致します。





1974年3月31日

 高橋信次先生盛岡講演会後のお世話役の方々への講話





まえがき

 一九七四年(昭和四九年)三月三一日、岩手県盛岡市内丸の岩手県公会堂での講演の後、お帰りの時間までの間、二階の小会議室に居合わせた約二十人の人達に、お話を頂いた時の記録です。
 窓の外からは、日教組がデモ行進の気勢を上げている声、「ワッショイ、ワッショイ」と云う声が聞こえます。
 始めに高橋信次先生が台湾の方々に、幽体離脱して、心の道、神理・正法を説かれた時の様子をご説明くださいました。(GLA誌一九七四年七月号参照)

 神(大宇宙の意識)と我々の心との関係、意識界(あの世)と現象界(この世)との関連、心と行いの在り方、また、今生での在り方の大切なことをお話し頂きました。
 一言一言を忠実に記録したいと心掛けており、お話をそのまま文字表記しているため、ご理解頂けない点があるかと思いますが、その際は先生のご著書を熟読して判断願います。
 なお、( )書きは、お話にはありません。編者が記したものです。

                               編集者 田口 恒勇





 1.幽体離脱して道を説く

 私は来月(四月)の十九日・・・(台湾へ行く事になっております)。
 去年の十一月から、丁度夜十時に毎晩、台湾へ行っておりまして・・・。
 勿論、肉体は持っては行かれません。身体から抜け出して・・・。これは、我々はどこでもやっている事なんですが・・・。
 勿論、相手の人は中国人ですから日本語は通じません。しかし、後ろにおられる守護霊は私が良く知っている人です。ですから、言葉は直接通じなくても、後ろの守護霊の言葉は自由に通じます。
 それで丁度、十時頃から、月に六回位ずつ行っておりました。ところが、丁度、三月の七日に、夜八時ですが、今晩、台湾の中国のグループの人達に現象を起こそうという事で連絡を致しました。ところが、彼らは丁度その日が皆さん会合で、彼らのグループというのはお医者さんと、もう一つは薬剤師、こういうグループなんです。
 ほとんどが台北大学、昔の台北帝大の医学部を出られた方。その人達の集団が、こうやって集まっている訳ですね。
 そこで、蔡(さい)さんと云われる方が中心となって、その活動をやっているわけです。

 私達はこういう壁なんかあったって構わないのですから。ペロッと出て参りますから。ここでこうやって話をし、皆さんは全部ソファーに腰を掛けております。
 私達が(幽体離脱して)姿を見せる時には、丁度、直径が一メートル位の光の玉です。その中に私達が、おりますから解りますね。そして、私は必ず分身を連れて行きますから、分身というのは霊の兄弟ですね。

 皆さん、仏像を見ますと後光がありますね。そこに小さい仏像がたくさん入っておりますね。知っていますか。それと同じ様にね、私達は出てゆく時には、そういう格好で出てゆくのです。という事は,僕等単独で行くと非常に危険です。
 例えば、恐らく出て行く時には、自分からファーと出て行きますとね。魔王とか色々の者が邪魔しますね。この地上階にはいっぱい居ますから。その為には守護霊、指導霊と言うような立場の人達が付いて行きます。

 私の『餓鬼道』という本を読んだ人ありますか。その『餓鬼道』というのは、今度は『愛は憎しみを超えて』という題名に変わりまして、現在、浪花節とか、行く行くはまた、映画になるんではないかと思います。今、浪花節で関西方面でやっております。いずれこっちの方まで映画か何かになって来るのではないでしょうか。
 それに書いてあるドームというのがある。
 禅定しておりますと、そこからずーと抜け出して行くとね、丁度、我々が、今住んでいるのが此処(ここ)としますと、この辺をスーと破って行きます。それが段々大きくなって行きます。そのドームの中を抜け出して行きますと・・・。飛行機に乗ると、段々と下の物が小さくなって行きますね。と同じように、地球が小さくなって、段々地平線が見えて来まして、飛行機の飛んでいるのがみな分かりますよ。下を飛行機が飛んでいますね。飛行機の飛んでいるのが分かります。人工衛星の飛んでいるのも分かります。ズーと上に揚(あ)がって行きますと地球から離れて、お月様・お星様が段々下がってゆきます。それからズーと向こうへ飛んで行く訳ですね。これが一つの方法・・・。

 もう一つは、
 禅定して抜け出して、この大気の中を飛んで行くわけ。そうすると耳でピューと音が聞こえます。風を切って行く音ですね。自分の肉体は勿論、日本の東京に置いてあるのですよ。もう一人の自分が抜け出して行くんですね。これを『幽体が離脱する』と言うのです。
 死ぬ時にはこういくんだが、自分の肉体と意識がコンタクトされている時は、死にません。これ(霊子線)がプツッと切れると二度と肉体には戻れないですよ。
 あの世へ行ってしまうのです。帰れません。そういう訳ですから、自分の意識とは電線・霊子線でつながっていますからね。それでも下を見ますと海、海の浪がみな見えますよ。『落ちたらどうしようかな』などと思うことがよくありますよ。落ちても肉体は持って行っていないのだから、死なないんですね。
 僕は、講演会に行く場合は飛行機で行く場合が多いわけですから、下を見て『落ちたら困るだろうな・・・』と思うことがあるんです。
 私達のそういう時は、この位の光の玉がそばに、飛行機と一緒に付いてきてくれます。
ですから『これは大丈夫だ』という事が解る訳ですね。

 それはアポロ十二号の船長をやっていたアウイン大佐が・・・
 たまたまGLAの講演会の時に、『アウイン大佐のアポロ十二号に、光の玉が付いて来ている』という事を私が言ったんです。
 それはガブリエルと云われるイエス・キリストの時代の大天使と云われた、このガブリエルと云われる光の天使、ガブリエルという方は羽根が生えているということを知っていますか。イスラエルの格好をして羽根が生えています。その方を見ると光なんです。
 普通の人が見ると光ですが、僕達が見ると光ではなく、その人の人間そのままに見えるわけですね。
 その時にちょうど私達は、「ガブリエルが、アウイン大佐のところに一緒について来ているから絶対にアポロ十二号は失敗しません」と言った訳ですね。
 ところがソビエトはみな失敗しますね。ガガーリン大佐、それからコマロフ大佐、これはみな失敗して死んでいるんですよ。アメリカは星、月から必ず帰って来るね。それは心を持っているからです。光の天使達がちゃんと守っているからです。
 そういう事から私が質問を受けたんです。「アポロは大丈夫でしょうか」と言った時・・・。
『大丈夫です。必ずついて行きます』
 そうするとまた、私達が自分でこう(瞑想)して見ると、意識をズーと抜け出して見ますと、アポロにちゃんとついている。そしてこのアウインという大佐はお月様の世界に降りた時に、ちゃんと彼は「神様」と言っているね。ガブリエルなどというのは、彼は分からないのです。「神様が私と共におった」という事を詳しく書いていますから。アウイン大佐から私の所へその本が、近々送って来るのです。その為に、あの方はアメリカの宇宙局を辞めまして、今は宗教に帰依して一生懸命「心の問題」、神に仕える仕事を遣(や)っております。
それは現在、アメリカの宇宙飛行士はそういう体験をしておりますから、当然、自分の目で、身体で確認したから信じざるを得ませんね。
 闘争などは愚かなものですから、こんな地球上の、ちっぽけな地球の中で争いや闘争を繰り返して「ワッショイ、ワッショイ」と、要求貫徹なんて言って飛んで歩いているような愚かさをね、彼らは知ってしまう訳ですよ。馬鹿馬鹿しいということを・・・。ですから結局、自分というものを知るということから、あの人達は現在、キリスト教に帰依しておりますね
 それと同じ様に、ちょうど私が、前にアウイン大佐がアポロ七号か八号で行く時、ちょうど私が家におりまして、テレビのスイッチを入れたら、「人工衛星が、アポロが、大気圏に間もなく、四十分後に入ります」と、その時に私の所に、フォアイシン・フォアイ・シンフォという光の天使(イエス様の分身)が私の家に来ており、そこで我々は話をしておった
 大気圏に入る時というのは、地球の自転とこの大気に入る角度が、一つ違うと焼けてしまうそうです。そういう話を私が聞いたおりました時に、フォアイシン・フォアイ・シンフォは「私は今から行きます」と言って、五分経ってからテレビジョンで遣っていました。飛行機がインドの上空に差し掛かった時に「光の玉を発見した。光の玉が一緒に付いてくる」と飛行士から連絡があったということを、東京で受信された気象庁で発表していますね。
 それが分かるのは僕等ですね。あの時はフォアイシン・フォアイ・シンフォが行ったのです。守られている訳ですね。そういう体験を通して、私は向こうへ行く時も、第三者から見たら光の玉に見えるのではないかと思います。飛んでいるんだから、自分を自分は見られませんから、恐らく空飛ぶ円盤じゃないかなと・・・。光ですから物凄く速いですからね。
光より速いです。光は昨日皆さんに説明したように、光は一秒間に299.774kmというと、地球を約七回り半する速さ、これが光の速さです。我々の意識はそれよりもっと速いんです。
それで我々はスピードを落として行くことも出来るんですよ。自分の意志で・・・。

 そうして抜け出して、ズーと台湾へ行くと、キールンというところがあります。ちょうど三月七日は、台湾はこの様な天候で、もっと霧が深くて雨が降っていました。
 キールンから少し抜けた所に、台北という所があります。台北から少し高台の所に、ちょうど台北の周辺にある衛星都市といいましょうか、その場所へ私が行きますと、その家からパーと光が出ているんです。
 何故ならば住んでいる人達の心が綺麗だからです。その家の中の奥さんも子供さんも、そこの場所に集まっている人の心が綺麗ですから、その家から後光が出ている訳です。
 あの世から見ると、あの家は調和されているとすぐに判ってしまう。皆さんが、もし調和しているか、いないかを知るには、僕等の測定する方法は簡単なんです。次元の違った世界から見れば、下の方、『あの家は心が綺麗だ。あの家は心が汚い』と判ってしまうんです。そのように飛んで行って僕等が予言をします。
 今から四年前でしたか、『我々の仲間がアメリカのニューヨーク、マンハッタンにおる。ニューヨーク大学の教授をしている人が私達の仲間である。その仲間は過去世に於いて、私達と同じ道を歩んだ人達である』と予言しました。
 ついに出てきました。アメリカのニューヨークで、しかも大学の教授ですね。それも東洋哲学をやっている専門の心理学の先生です。
 このことは、やがて三年後に、皆さんはその人の力を知るようになるでしょう。その人の名前はやがて発表されます。今、予言しておきます。

 それから中国に生まれているところの、蔡(さい)、リンテツジンというこの二人も皆さんもやがて知るようになるでしょう。彼らはその力を皆持っているからです。

 そして、我等は抜け出して(幽体離脱)、その道を説くから、国境は無いんです。
 我々の世界に於いては、国境はあります。国境は誰が作ったかというと、これは俺の国だ、俺の地所だといって作ったのです。あの世にはそんなもの無いんです。
 だから我々は地球という丸い宇宙船に、今乗っかって宇宙を旅しているところの人類なんです。宇宙船という大きな地球という船に乗って、宇宙の中を飛んでいる我々は乗組員なんです。
 その乗組員が喧嘩しているのだから馬鹿みたいなもんだね。



 2.末法の世

 さっき見たら、日教組なんて云って、一人ひとり見ると顔が悪魔みたいな顔してね、そんなのに教育を受けるから豪(えら)いことですね。学生もかわいそうですわ。こういう事じゃ困るわけ・・・ですね。
 やっても良いのです。肝心要(かんじんかなめ)の心を知って、自分は教育者だという立場を取って・・・。自分のことは棚に上げて、自分は教えられた知識を切り売りするような教育じゃ困るんです。そういう教育者が教育したのがいつの間にか不調和でね。
 我々の時代には角帽をかぶっていたんですよ。ところが、今は角帽ではなく、東京辺りでは丸棒で先の尖っているやつ・・・。
 そういうものがまかり通っているという事は・・・。
 まあ、この次はどっちみち、あの世へ行ってからゆっくり絞るから、構いません。
 地獄で何百年も苦労して貰います。

 そういうような時代になって、一方に於いて社会の本を見なさい。本を見るとエロチックばかり。ところが今はヘッチャラで見ているね。僕等は見るといっても、隠れて見たもんです。今は堂々と見ています。そういう事をやっているのは自由諸国ですよ。アメリカです。日本です。フランスです。イギリスです。スウェーデンです。自由諸国だけ・・・。
 中共へ行ってそういう事やったらとんでもない事です。ソビエトであんな事やったら、ダダダダとやられます。日本だけです。
 日本人は戦後その様に、僅か二十何年の間に本当の民主主義の有り難さを知らない。
 ですから、本来ならばお互いに話し合って、名前が出なくても勿論、経営者は「金が有るからお前達を使うのは当然なんだ」、なんていう考え方が困る。人間は皆平等です。そういう平等の上に立って生活している以上、たまたま自分が上になったならば、上になっただけに謙虚であり、そしてまた使っている人達と心の対話をし、お互いに生きる道を調和させてゆく事が本当の道なんです。
 まあ、そういうことを皆忘れてしまって、資本主義、社会主義という一つの大きな対立の世界が出来てきた。こういう世界を「末法の世」と云うのです。

 アトランテスという時代が、今から一万二千年前にありました。私はこのアトランテスという国に生まれました。その当時は文明が発達して、現在よりも文明は発達していました。それも、我々自身の今持っているところの鉄等という物より、もっと高度な、もっと耐熱性のある軽い物質が出来ていました。現在は、その物質は在りません。やがて発明するでしょう。
 そういうように、生活環境も非常に調和されていました。やがて、人間は物質や経済というものが安定してくると心を外に向けるのです。外に向けると欲望なのです。自分自身、欲望という渦の中に自分を失って行くのです。
 だから段々、苦しみを作る。そのうちに、自分さえ良ければ良いというようになり、正しい事を言うと都合悪くなる。そういう正しい人間を捕らえて殺してしまったのです。
 そういう時には、実在界、あの世から光の天使達が、当時で一万数千人出ておったのです。その当時のアトランテスは、現在のイギリスからズーと地中海方面から現在のエジプトにかけて、あのアフリカにかけてズーとつながっていた大陸でした。その大陸の存在というのは、やがて近い将来にその存在がはっきり解るようになります。発見されます。そしてナイル渓谷の三角州(さんかくす)のところに、かつて我々が造ったピラミッドが在ります。そのピラミッドは自然風化によって完全に土の中に埋まっています。
 その中から、アトランテスの時代の本当の物が発見されて行きます。それは長い将来ではありません。勿論、我々生きている間に、そういう事がはっきりと、かつて地上界の文明が現代文明より栄えていたというアトランテスの姿がはっきりと発見されます。
 こうして、我々が、そのアトランテスの時代も文明があまり発達した為に、人間が欲望と快楽に身をやつし、神の子としての本性を失ってしまい・・・。
そうして一万数千人の光の天使達を魔女狩りということで洞穴に入れて、デデンと爆発させて一遍に殺してしまった。
 それが後の「ノアの方舟」という一つの現象になって現れるのですよ。大陸がみな埋まってしまったのですよ。アトランテス大陸は陥没してしまった。陥没してしまって、一部分の人はズーと逃げてきて創世記時代、本当にあったのですよ。
 そういう時代を我々は、皆さんは、経験しているんです。
 皆さんの心の中のテープ・レコーダーを繙(ひもと)いてゆけば、皆その体験しているんです。ただ皆さんはこの地球上に生まれて、もうこの世だけなんだと思ってしまうんです。死んだら有るんだという事なのです。
 この世は幾ら長くても僅か百年、八十年です。僅かな八十年や百年の人生行路で、我々は自分の心を狭くしてはいけません。僅か八十年や九十年の人生を、より有意義に自分というものを作りあげて行く事が大事なんです。それを自分の生まれた環境、教育、思想や習慣、こういうものの渦の中に入ってしまい、お金が総てだ、地位が総てだと思ってしまうんです。そんな物はね、生きることに必要なだけ有れば良いんです。どんなにお金を持っていたって地獄へ行く人は行くんです。お金が無くても天上界へ行く人はいっぱいいます。



 3.後 光 (ごこう)

 人間は名前が出なくても、生まれた自分の環境の中で、一生懸命こつこつと仕事をし、恨む事なく、そしる事なく、妬(ねた)む事なく、常に心が丸く豊かな生活をしている人達は、必ず成功しますけれどね。だから、そういう豊かな心を持って、そうすると一人ひとりの頭からは、ちゃんと後光と云うものが見えるんです。
 その後光と云うものが、あの世へ帰る時に自分の頭から、体から後光が出ていないとね。あの世というのは、今、我々の扉(自動ドア)は重さで開きますね。重しで圧力スイッチが入って自動扉が開きますね。これは皆さんの重みで誰でも開くのです。
 ところが今度は、体から出ている光で開くようになったらどうしますか。シャット・ザ・ドアですね。もう、閉まりっぱなしです。オープン・ザ・ドアになるには、心から後光が出ていないと、天上界の扉は開かないんですよ。

 自分が落ちて真っ暗だ。
 もし、皆さんの身内の人で死ぬ時に「暗いよ、暗いよ」と手探り始めたら地獄です。間違い無し。「暗いよ、暗くなって来た。見えなくなって来た」・・・これは地獄ですよ。
もし身内の者にそういう人が出たなら・・・。『暗くはないよ。貴方は心の中を明るくしなさい。貴方は自分の心に嘘をつく事を止めなさい。自分の本当の心で、今まで人生に於いて間違いを犯したことを反省しなさい。
 もう、荷物も家族も総て捨てなさい。そして、「神様、私を救って下さい」と、心から祈りなさい』と教えてやってご覧なさい。
そういう人に限って硬くなっているから。だから死ぬ時に硬直して、硬くなっていて、手を合わせる事が出来ない人がよくいるでしょう。亡くなった時に・・・。
それは間違いなく地獄ですわ。本当に・・・。
GLAのグループの人達で、この世を去った人達がいます。もう年を取って、そういう人達は身体がフニャフニャ柔らかくて、生きている時よりもっと綺麗な顔になっています。

アラビア石油の社長が水野さんという方です。この方が、社長に就任する何日か前に、私の所へ参りました、
「今度、私がアラビア石油の社長になるのですが、社長になる心構えとしてどうしたら良いでしょうか」と言って私の所へ来たのです。
その時に『水野さん、貴方は日本人である事を捨てなさい。貴方はクエートとアラビア人になり切ることです。あれだけの大きな石油資源を日本へ持ってくる。日本だけ儲けようとする事は止めなさい。貴方はアラビアの国から取れた石油で生活するんです。その為にはアラビア人の為にも尽くしなさい』と、私はこの様に言いました。
それと同時に、電力会社に公害を防止する為の研究費として、当時、年間二十億円の金をアラビア石油が払っていた。『それを止めなさい』と言ったのです。『その二十億の金で、貴方は自分の会社で、公害を如何に無くすかという事を研究するのです。二十億の金を電力会社に遣(や)っても、それが公害防止の為に使われているか否か、という事に対し、貴方は責任持てますか』
「持てません」
『それでは止める事です』
こうしてアラビア石油の社長さんは、自分からアラビア人になりきりました。そうして彼は、それから三日後にアラビア石油の第三代目の社長になりました。新聞記者が来ました。その前に記者会見をやりました。
その時に、「社長、貴方は新社長として抱負は如何ですか」と新聞記者から聞かれました。彼は「私は好(よ)い死に顔でこの世を送りたい」と、そのこと一言、言ったのです。毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞は声を揃えて、「今度の社長はパーだよ。おかしいこと言ったよ。この世を去るときに好い死に顔でありたい」と・・・。
そこで、私の所にも新聞記者が参ります。ある新聞記者が、読売の方と東京タイムスの方です。「先生、あのアラビア石油の社長は変わり者ですな。あの社長は、社長になる抱負は如何ですかと言ったら、「好い死に顔でありたい」と一言、言っただけです。
「あれはパーですよ」
『貴方々がバーだよ。皆さんね、「好い死に顔で死にたい」という事は、毎日の生活をしっかり生活していなかったら、好い死に顔で死ねますか?』それを新聞記者たちは解らなかった。
これが、毎日新聞の預言者T氏というのが出ておりましたね。あれは僕のことなんです。その時、毎日新聞のその論文を書いたのが、その方だったのです。
そして『貴方々こそバーだよ。あの水野と云う人は立派な人だ。それだけの覚悟で、毎日を一生懸命に日本とアラビアの国のバイヤーとなって、自分が一生懸命やって行くんだというその根性、そしてそれを実行しなければ好い死に顔で死ねる訳がない。それこそ真っ黒の硬直した執着の塊で、鋼塊(こうかい)のような体で死んでしまいます』
ところで、水野社長からは去年の石油危機の時、私の所へ電話が来ました。
「有り難うございました。先生のあの時の話を知らなかったら、恐らく日本の為にだけ尽くして、ボイコット食ったでしょう。この間の石油危機の時にね、おかげ様で国王からも「アラビア石油は我が国の絶大なる協力者である」ということを、その国の王からも言われました。私はその為にアラビアの、そしてクエートの人々の為にアラビア石油の社債を、金を出して多くの人々に家を造ったり、生活の場を与えました。今後もやって行きたいと思います」
同時に去年の十二月に、二十億、年間電力会社の研究費として払っておったものをパチッと打ち切りましたね。このように、人間というものは毎日の生活が大事なんですよ。そうでなければ好い死に顔で死ねる訳がないんです。

我々は、ようようこうやって講演する場所というものが、GLAばかりではないのですよ。今は財界人が多くなってきているのです。この間も、関西財界人ばかり、大阪の財界人が作っている商工会議所、その場所で講演をしました。彼らは殆ど実業家で、会社の社長ばかりです。東京でも経済同友会というのは、皆さん知っているでしょう。その経済同友会でも講演をやり始めました。それから、大企業が我々の神理を生活の心の柱としても始まっております。
或いは、最近は高校で、私の<原説般若心経>とか<心の指針>というのを心理学、倫理学の面で教え始めています。九州方面、東京でもそういう事をやっています。
ですから大事なことは、皆さん、自分の心、思うこと、行うこと、これをしっかりしていないと苦しみは自分がする。他人ではないんです、自分がしっかりしていることです。
たいていの人は、悪くなると他人のせいにする。あの人がこうしたからこうなったのよ。自分が悪くなっている、というのは、自分がなっているのだから、他人のせいにしないで、何故、自分がそういうように苦しくなったのか。これをしっかり、自分を見る事です。
これを見ないで、他人を批判した方が楽なんです。楽だと思っているが、それは一時(いっとき)なんです。それは逃避なんです。ですから、苦しみがあったら堂々と『何故、こんな苦しみが出るのか、何か原因があるぞ』と追及してゆくと、『こんな所に、こんな原因があった』この原因を取り除かない限り駄目です。その原因を取り除くことこそ大事ですね。
ですから、我々はこのようにして、人間の心というものが如何に重大であるかということは、皆さん、私の本、何回かの講演で・・・。新しい人達は、そういうものを自分が生活の中に導入して、しっかりやることですね。
それが正しい道であり、正しい信仰です。一生懸命、拝むことが信仰ではない。大事な事は自分自身、正しい生き方、偏らないという、これ以外に無いんです。拝ませることが信仰であったら、僕等なんか食ってゆかれませんね。
これ出来たよ。これいくらだよ。これいくらだよ。読まなかったら、お前罰が当たるよ。ガバット金が入るよ。私達は知っているんですよ。
しかし、神はこんなことしなくても良い環境を与えてくれておるんです。それでちゃんと生活が出来るんです。
拝むことでなく、真に人間は金が無くても信仰は出来るのだ、ということを知って欲しい。
だから、色々な拝み屋へ行って迷った人もいるでしょう。そんなものに脅かされてはいけません。



 4.宇宙即我、宇宙の神理

 自分の心の中に神があるんです。それは何故、私がそういう様な事を言うかというと、禅定して宇宙即我になりますと、自分の体が大きくなって、今の肉体が小さくなって行きます。小さくなるのではない。今の体は変わらないけれども、後ろの後光がパッと大きくなって行きますので、宇宙が自分の体に入ってしまうんですよ。宇宙の姿が、自分の心の姿に変わって来るのですよ。
 そうなると、宇宙の神理は自然の中にあるんですよ。その自然の中にあるところの宇宙の神理、例えば、お天道(てんとう)様が東から出て、西へ沈む。しかも、お天道様は昨日も話したように、お天道様を壊して、地球を造ると三十三万個出来ると言いましたね。本当なんですよ。
 そんなこと、計算すれば子供でも出来る。
 太陽を壊し、地球が三十三万個出来る事は大変ですよ。しかも太陽は火星、水星、木星、金星、土星、海王星、天王星、冥王星、地球の九つの惑星と三万数千個の衛星集団を引き連れて、太陽を中心としてこう廻りながら、地球は太陽の周りを一秒間に三十キロメートルの速さで飛んでいるんですよ。しかもまた、太陽は銀河系宇宙の中を一秒間に二十キロメートルの速さで飛んでいるんですよ。我々は何でこんなに安心しておられるんでしょうね。お互いに相互関係によって安定しているからね。引力とか重力とか、そういう調和された環境の中に於いて、安定しているんですよ。
 その中に我々は生まれた時から居るから、「なぁに、お天道様出るのは当り前さ、また春か、寒いな、今日は雪か」などと言っているけれども、これも自然の摂理があって、雨が降ったり、また雨が降る事によって、土の表面の汚いものを綺麗に流してくれる。しかもまた、風が吹く事によって空気を綺麗にしてくれる。これは皆うまく出来ているんです。
 あの東京都に雨が降ったり、風が吹いてくれないと、皆さんスモッグで大変ですよ。この岩手県から東京へ行ったら、臭くて鼻の中まで違ってきますよ。風邪引いたら治りませんよ。この位、空気が自然のものと人間によって壊されたものと違います。
 私のビルは都営地下鉄の浅草の駅ビルです。今から二十五年前は(隅田川にも)白魚がおったんです。
 今はドロドロです。でも最近は浄化槽でみんな綺麗になって来たから、ようやくカモメが飛んで来るようになりました。カモメが来たということは綺麗になって食べ物があるから来るんですね。恐らくこの川だってそうだと思います。昔は綺麗だったでしょう。段々汚されてきた。こうして自然というものが、人間によってどんどん壊されていったのです。壊されても好いですよ。壊すには壊すだけの後に対しての責任を持てばいいんだが、その責任は持たない。
 そういう事は、私たちもやっております。その中にはメッキをやってもらう所、本来ならば自分の会社で原料を仕入れて、加工して、試験をして磨けば良いですね。必ず儲かるんです。その途中にメッキ屋さんがあります。塗装屋さんがあります。塗装をバーとやりますから空気を汚しますね。しかも、メッキ屋さんの方はメッキ液の中に入れて電気を通して、カドミューム・メッキとか、ニッケル・メッキとか、真鍮(しんちゅう)、銅メッキとか、或いは、接点などは金メッキなんだよ。そうやっている所が公害までちゃんと計算してやったら、メッキ代がうんと高くつきますね。そして、彼ら公害のながれがこの位で公害費はこの位でとしたら、一つメッキしてもらうにも大変な金になる。そうすると、そういう連中はたれ流しをしてしまう。
 ダーと流してしまう。流すと、東京湾の貝のように皆死んでしまう。
 終戦の頃、「私は貝になりたい」という映画がありました。戦争が厳しくて命令によって自分はどうする事も出来ない。死ねと言われたら死ななければならない。そういう時に私は貝になりたい。ところが、今は貝にもなれない。公害でね。そういうようにね、時代が変わると人間の表現も変わって来るんです。



 5.自分を正しく見る

 ですから、我々は大事なことは自分自身という者が、あらゆる現象に対して自分が正しく自分を見られる自分になる事が大事なんですよ。
 例えば、学校へ行って番強が出来ない。私はどうして出来ないだろう。その原因はどこにあるんだろう。
 じゃ、学校へ行って勉強して来たか。予習をして行けば、先生の講義は面白いばかり。そこで、先生の講義の時間中に先生の教えを覚えてしまう。さて、家へ帰って復習する。そして、予習をして覚える。そしてまた、復習してやっていれば、本当は良いんです。
 ところが、今日はこんな漫画を見ようかな・・・。とんでもない本の方へ心が行ってしまうから、これは駄目だ。いやいや、今日は六時からこんな漫画があるからと、テレビの方が詳しい。テレビの番組をしっかり覚えている子は頭が良いんです。勉強の仕方が悪いんですよ。ですから、テレビの番組を知っているのは、頭は悪くない。暗記力があるんですから。家(うち)の子供なんかは凄いですよ。今日は何時から何があって、第三チャンネルはこれがあって、あれがあって。全く詳しいですよ。しかも、歌い手さんの名前まで、年令まですぐに覚えてしまう。今日はアグネスチャンはこうして、このようにやって、あの方の踊り方はこの様に・・・。
 だから『お前さん、そのように勉強したら出来るだろうね』そうしたら、大妻女子大付属高校を見事に滑りました。ですから、「パパ受かるかな、守護霊に聞いてくれないかな」と言うから『そんな事まで聞けないよ。お前自身が勉強しないで守護霊に聞いたら。俺が怒られてしまうよ』といったら、「受かったかな」。五十人取る所へ二千八百人応募したんですからね。本人びっくりして、「守護霊に聞いてくれ」と言うから、『怒っているよ』と。
 試験発表の時「パパ行ってくれ」と言う。『僕が行っても仕様がないよ。とにかく行って見てこい』と言ったら、「人生というものは厳しいものだ。中学の三年にして、ようやく人生の厳しさを知った」と言う。いわば高校の試験を落っこちたんです。
 それでも良いと思うのです。人生の厳しさを知った。こんなに厳しいもんだとは思わなかった。僕はそういう意味で落第するのも結構だと思うんです。そういう中からこれは甘くない。学生であったなら予習と復習をきちんとやって、学校にいる間に先生の勉強を、きちっと頭に入れてしまってやっていれば誰だって出来るんです。それを大抵抜いてしまうんですね。今日はテレビを見て、明日からやろう。フクロウというのは明日になったら巣を造ろう、明日になったら巣を造ろうとして一生巣を造らずに過ごすのです。ホトトギスはまた違うんです。彼は生んだ卵をよそへ預けてしまうんです。よそさんへ預けて、巣だって行く鳥ですから。色々ありますけど、人間はそんなものでは無いんです。
 だから、私には守護霊が「明日あると思うな。今日に最善を尽くせ。そして、一日一生のつもりで真剣に生きろ。その時に人間は誰だって貧乏する人はいない」と言うんです。誰もが時宜(じぎ)人間になるんだ。ところが大抵は何とかなる。ところが大抵は明日になれば何とかなる。
 それともう一つは、若い学生諸君でも、うちの従業員でも『どうだ、最近生産の方は』と言うと「まあまあです」「まあまあ」という程、困るんですね。『どうだ、成績の方は』「まあまあです」『試験ができたのか』「まあまあです」更に聞くと「全部書いたよ」全部書いたよという事は出来たか、出来ないか分からない。無責任な話です。
 そういうように人間は無責任なところがあるんです。それが積み重なった時に無責任な行動をするんです。
 皆さんは、私の話は皆自分の心のテープ・レコーダーにみな記録していますよ。好むと好まざるとに拘わらず、やがて死ぬのです。その時にテープ・レコーダーにちゃんと記録されて、ちゃんと現象化されます。
 ということは、GLAの中で亡くなられた方で一体どこにいるか。



 6.親子・夫婦の縁

 それは有名な絵描屋さんで、胸が悪くて、もう既に四十年も胸部疾患で大変だった。ところが、今から四年ばかり前に私達の神理に帰依して、心がちゃんと解るようになった。途端に院展の美術院賞というのを貰いました。最高賞ですね。院展の美術院賞というのは日本でただ一人、最高賞ですよ。これを貰いました。その方が今年の二月亡くなりました。
 日本人は死ぬ時まで「死にたくないんだ、もう一つ、今年の秋の院展に出して死にたいんだ」『貴方が書き残した物は、今生を去ってあの世へ帰り、またこの世へ生まれて来た時に描けばよいから』と言ったら、「先生、何百年も待つのは私も淋しいですよ」と言っておりました。
 一週間目位の時に執着を一切捨てました。晩ですね。「いよいよ、私の旅立つ時が来ました」奥さんを呼びまして「お前、長いこと苦労をかけたなあ。ようよう美術院賞をもらって、私の絵が一つ何十万、一つか二つ売ればとにかく一年楽に暮らせる様になったのに、お前に苦労かけて悪かったな。今度生まれるときは七百年位後なそうだ。その時にはまた夫婦になろうよ」と奥さんの手を握りました。
 皆さん、結婚して『今度生まれて来る時に一緒になろうね』と言える人は少ないよ。結婚をしている人達の90%は、違うところで生まれてこようという人達が多いのだから。
 本当ですよ。夫婦別れしようという人達は一杯いるんです。特に幼妻などというのが流行りましてね。この幼妻などというのは最初のうちは「早く結婚して好いわ」と思っている内に、子供が出来るとロッカーなどの中に入れてしまって、ロッカーどうにかなってる。そういう面で離婚する率も非常に急速に増えている。
 我々には弁護士さんもいますね。高橋弁護士さんなんかも、色々裁判所でそういうのも研究しています。調べているとね、もう一寸時間をかけて待てば良い、良く観察すれば良い。仲良く恋愛して結婚したのに、サッと別れてしまう。そういう世の中を、末法の世と言うんですよ。
 そういう面もしっかり、自分自身が恋愛も結構だけれども、良く相手を選んで先の先まで、そうして、若い自分で選んだところで「それが絶対だ」なんて言わないで、お父さん、お母さんも悩みや苦しみを通った人達の先輩の話を良く聞いて、やって行く事ですね。それをしないで苦しみを作っていく、そういう事も実際は困るわけです。



 7.過去世を知るには

 それと、皆さんが、本当に自分の過去を知りたいと思うならば、皆さんは生まれた時から現在まで、徹底的に自分自身の心の歪を作ったことを勇気を持って直す事です。

 まず、最初に皆さんが生まれた時に、お母さんから何をしてもらったか。
 まず、産んでもらった事は間違いない。
 あるいは、育ての親は育ての親を対象として、そして、オッパイを貰ったこと、おしめを洗って貰った事、泣いてお母さんを困らしたこと、自分が欲しい物を、泣いてでも買ってもらったこと。色々ありますよ。こういう事から現代までお母さんにして貰ったこと。今度はお母さんにしてやった事。これを皆さん、徹底的に心の中で反省することです。
 ところが最近の子供の中には、『何言っているんだ、お父さんもお母さんもうまいことしただけではないか。生みっ放しではないか』と言うのが一杯いるんです。
 残念でした。お母さんも実は忘れているんだけれども、あの世でちゃんと約束しているんですよ。だから偶然ではないんですよ。
 偶然ではない証拠には、女性は排卵というのが二十七日二十三時間五十六分四十秒と決まっているんですよ。犬や猫とは違うんですよ。それだけに、我々の周期というものはちゃんとあの世から余裕を与えられて、結婚し子供が生まれる様になっているんですよ。ですから、そういう事を皆さんが知ったならば、デタラメに生んだのではないんです。
 親は忘れているだけなのです。
 心の窓を開けば、「やってやるぞ、ヨッシャ」と、「今度出る時は、ちゃんと親孝行するか」

 私は、ちゃんと言ったのです。
 あの世で、『貴方すみませんな。私のお母さんになってくれますか』
 「もうこりごりだ。幕末の時代は、全く家をすっぽかして大問題を起こし、インドの時代は、ほっぽり出されて、もう勘弁してくれ。貴方と一緒に出たら、もうどんな目に合うかわからん。別の人に頼んでくれないか」
 それは、寛永二年ですよ。キャンセルされてしまって、さあ困った。誰かいないかなと探した。探し当てた。
 いやいや、承諾したんです。そして、その人は日本に生まれました。
 お母さんになる人はキャンセルして、『何で貴女は嫌ですか』と問うと、「私は優雅な生活をしなければ地獄へ落ちる危険性があります。ですから私は経済力のある所へ出たいんです」ということです。
 こっちは経済力のある所へ出ると、優雅な生活をしちまって、自分の目的を果たさずチャラチャラして帰ってしまいますわ。もうこれは危険だという事が分かっていますから、なるべく貧乏人で、あまり貧乏でなく金持ちでも無く、適当な所へ出ておると、これを何とか、どっかで掴むだろうという事で、私が生まれた場所を選んだのがその理由です。
 そして最初、北海道へ出るつもりであった。北海道から南下して神理を説いて行こう。北海道は寒すぎて駄目だよ・・・。 (笑い声)
 いろいろ迷うんです。そうなんですよ。皆さんも大抵そういう体験しているんですよ。そうして山形が良いんじゃないか。山形はどこだ。酒田、酒田はどうだ。これも雪が深いし、東京方面に出るには時間がかかるな。
 よし、日本の地図を出して、こことやったんです。それがたまたま長野県です。それで、そこの場所を選んだんですよ。
 その時、『貴女、私はどん百姓に出るがどうする』
 すると、「今まで、私は王様の王妃ばかり勤めて来た。どん百姓になど生まれたら、私は貴方の面倒を見なくなります」と脅迫されたんです。
 『それでは仕様がない』そこで、どん百姓に適合する人を選んで、お母さんになって貰ったんですよ。
 そうして、本当の母親に何回かなってくれた人は、これは日本の蜂須賀家(はちすかけ)に生まれたわけです。徳川慶喜公の孫です。だから彼女はまごまご出来ません。
 自分自身というものを作ろうとして、優雅な生活に浸った。蜂須賀家は日本で一番の金持ちだったんですよ。土地も大きく持っていますしね。その場所へ、あのお婆は出たんです。出たところが、二十五才の時に松平家と夫婦別れをした。子供五人を置きっ放しにして、フランスへ行って大騒ぎをした。僕らはその頃にあの世から出て来た。遣っていた遣っていたという訳で、また失敗して来るよ。
 僕が心の窓を開く昭和四十三年(1968年)の十月でした。「私の所に、約束した母親が必ず訪ねて来る。それは蜂須賀年子いう女である」、『果たして僕の所に来るだろうか』と言ったところ、守護霊は「来ます。来ます」と言うんですね。地位や名誉ばかり追い掛けている者は、恐らく来ないだろうと思っていました。
 ところが、一週間目に家内の所へ、「蜂須賀年子は、後一週間後に参ります。年を召しているから大変です。今のあの方は非常に悩んでいます」
 私の所へ一週間目に来ました。貴婦人です。髪は銀髪です。シルバーグレーです。それは、それは、立派なものです。着ている物から見て、これは高貴な方と誰も思います。但し、形だけ、心は違うよ。羽織の紐かけは純金で出来ております。手には何千万というような指輪をはめています。
 『このお婆は、私の母親をキャンセルした人だ』と思いました。ところがこのお婆は霊視が利いてしまったんです。来た瞬間に、僕らを見えてしまったんです。僕等を「伊勢神宮で見たのとそっくりだ」と言うんだよ。
 伊勢神宮へ行って見ると、光でパッと見えるんだ。僕等、見たのと一つも変わっていないと言うんだよ。「珍しい所へ来たもんだ」
 ところが、お婆は実は僕からヘブライ語とか、そういう古代の言葉を引っぱり出して、自分の研究に利用しようとした訳ね。その網に掛かったのです。向こうは。そして私の所へ来まして、色々遣っているうちにお婆は虜になってしまいまして、色々と神理を聞くようになりました。
 そうして、自分はかつてインド当時の母親であったという事を知ったんです。
 そうしたら、あの世へ帰る時期が参りました。丁度、十一月の二十五日、二十四日の土曜講演の日でした。六時からですが、私は七時から講演です。
 「もしもし、私は蜂須賀です。今から講演を聞きに行きたいのです」
 『ちょっと待ってください。貴女は心臓は強いんだけれども体の心臓の方は駄目なんですよ』それは言わなかったけれども『貴女は明日、お医者さんへ行って心臓の方をちゃんと診てもらいなさい』
 「でも行きたいんだよ」
 『来てもらっても良いんだけれども、まさ子さん(松平家に嫁に行っている次女の方)と一緒になら来てもいいです』
 「まさ子は来てくれないの」
 『来てくれなかったら、来ては駄目。貴女は家に居りなさい』そういうようにして、約一時間半近く電話で話しました。
 電話をした翌日の十時に椅子の腰を掛けて「まさ子や、お茶を持ってきて頂だい。水・・・」と言って、水を口へ入れたまま、あの世へ行ってしまった。そんな事は僕の所へ報告はありませんね。ああいう昔の侯爵(こうしゃく)だ、士族だ等という人達は我々平民、庶民の所へなど電話をよこす筈が無いんです。
 ところが、最後の最後まで私の所へ来たんです。死んだということはその晩に、僕には判ったんです。何故判ったかというと、お婆が家へ来たんです。
 霊となって、ちゃんと正装しまして。
 「貴方様の言われた通りでございます。私は今どのようにしたらいいでしょうか」
 私の家の寝る場所は、八畳の部屋なもんです。母ちゃんはこっち、私はこっち、枕元にちゃんと立っているのですよ。夫婦の間を裂くのは良くないよ。
 家内も見えるもんですから、『ちょっと黙って聞いてみようじゃないか』
 「長い間お世話になりました。私は今、貴方様が私に教えた通りの世界です。何か寒いんです。一体ここは天井界か地獄界か、私はちっとも判らないんです。教えてくれませんか」という訳です。
 『貴女の生きている時は、貴女自身生きている時はね、百人も二百人もの女中さんにかしずかれ、豪壮な邸宅に住んでおった。今いる所はちょっと気の毒だが、寒い所ですよ。しかし、それも、一寸の間だから我慢しなさい』
 『まず、貴女自身が生まれた時から現代までのこと、貴女の思ったことの総て、これを反省しなさい。貴女は生まれたとき優雅な生活をし、お父さんから教育をされたこと、それから社会へ出て、この様に、人前で虚栄を張ったこと、こういう事を全部反省しなさい』
 そうして、そのお婆はね、「ここにおっていいかしら」と言うからね・・・。「寒くてしようがないよ」地獄です。
 だから、『今晩はまず帰ってくれ。解ったら反省をやってくれ』
 私達は寝ますね。そうすると、決まって、仕事をして夜帰ってきますと、「今日もまた来ましたと言って来るんです。そうして、「今度はどのようにしたらいいでしょうか」こんな調子で三日間、私の家を訪問しました。
 そして、懇々(こんこん)と神理を教えてやって、もう解っているのですから、今、自分が迷っているのはどこかを教えればいいんです。
 そうして、「あなた様に一言お願いがあるんです。私は、あのエジプトのピラミッドの中のツタンカーメンの鏡を持っているのです。その鏡の処理をどうしたら良いのでしょうか」と言うから『そんなものよいじゃない』
 「私は過去世に於いて、そのプレオと云われるファラオの下で母親として生活したことがございます。それがたまたま今度は日本に生まれ、今から四千年ばかり前の物です。私の父親がエジプトの大使官をやっている時に、この鏡をお土産として持って来た物なのです。時価何十億というものです。その処理をどのようにしたら良いでしょうか」と言うことです
 『そんな物関係ない。貴女、何、執着を持っているんだ。エジプトに遺した物が貴女の縁によって、貴女自身の使ったものが、今世で貴女の手に入ったんだから、そんな物に執着持たずに・・・』
 上野の博物館かへ置きました。執着というものはそういうものなんですよ。万歳して裸のまま帰った訳ですね。こうして、今、天上界に居ますわ。こんなこと言うと今晩あたり、「貴方、私の事そんなに言わないでよ」等と来られるかも知れませんね。みんな聞こえてしまいますからね。そういうものなんですよ。
 『だけど僕は本当のこと言ってるからね。おばあちゃん、文句言わないで下さい』
 一言、断っておかないとね。そういうものなんですよ。



 8.あの世は心の世界

 皆さんはね、何であの世ではサァーと通じるかというと、同根(どうこん)なんです。と言うことは皆さんに見せました。神の心とブランチになっているんですよ。だから通じてしまうんです。皆さんの心の世界だからです。
 今の世界は、時間と空間があるけれどもね。皆さんの心の世界は次元の違った世界、その中に存在しているんですから、即座なんです。
 皆さんの先祖を出すにしても、亡くなった人を出さにしても、彼等は呼べばすぐ来るんですよ。ケネディでも構いませんよ。
 あのアメリカのワシントンの墓地に眠っているケネディ、彼は地獄界、阿修羅界ですね。彼が生きておったら豪(えら)いことになってしまう。彼がおったら、戦争になったら原爆を使ったんですよ。それで、あの世から引っこ抜かれたんですからね。
 最悪の場合、あの世で引っこ抜くんです。そのように、あの世でコントロールしているんです。
 そういう様な人達ですから、当然、自分の家柄、地位、名誉ばかり考えている。
 殺されましたね。これだって、あの世からの一つの現象として出されることです。


 9.ポックリ病と反省の仕方

 皆さん、ポックリ病というのを聞いた事ありますか。ポックリ病で死んだ人達を「あの人は生きている時、非常に良い人であったのに」と言いますね。ところが、その人の心の中を見ないから、形だけ見ているから。
 ポックリ病で死ぬような人達は、良い心の人な訳はないですよ。あれは地獄霊が絞めっ放しのまま、コロッと逝ってしまうのがポックリ病です。あれは地獄霊がみな押さえてしまう。本当に我々は、こういう様にあの世から非常にコントロールされているという事です。いうなれば皆さんはね、あの世の操り人形なんですよ。
 その操り人形が、勝手にパッとパチンコ屋などへ行ってさ、あの野郎またパチンコ屋へ行く。あれあれ、あの野郎キャバレーなんかへ行っちまって、そんなような事やっているのは、あの世でみんなコントロールされている事を皆さんが知らないからです。
 それが心の中では、今日はパチンコ屋へ行くのを止めよう。今日は競馬へ行くのを止めよう。今日は飲むのを止めようと、こうやって勇気を持ってやって行った時に、皆さん自身の心の中にピシャッとしたものが出てくるのです。間違いのない、そういう時に守護霊がやる訳ですね。
 それをもっと的確にやるというのが、お母さんから生まれた時から、お母さんに自分がして貰ったこと、今度はしてやった事、母親にこんな事をしてやった、あんな事もしてやった。今度はお父さんにして貰った事、それに対して子供として、してやった事。
 これは『八正道』という物さしでやって行くのですよ。
 次は、兄弟に対して兄弟喧嘩したのであれば、何故、兄弟喧嘩したのかな。兄弟にこういう事をした、ああいうことをした、良いことかな・・・。
 あるいは、兄弟の物を取って自分の物にした。これも良くない。

 その次に大事なのは、学校へ行きますね。
 学校へ行きましたら今度は、先生に教えて貰ったこと。
 こんな学校など火事になって燃えてしまえば良いな。試験の前には、そう思う人がいますね、それ困りますよ。本当だったら、皆病気などで学校休むといいな、うんと雪が降って行けなくなれば好いんだ。
 差し当たり、盛岡の人はそんな考えは持たないと思いますけれども。恐らく東京アタリではそういう人も出てくると思いますよ。
 そういう学校生活の時代に、先生にして戴いたこと、自分に感謝の心があったか・・・。
更にまた、学校の友達に対して同じ友達同志で、友達自身の不幸になる事をしなかったか。最近は仙台でありましたね。お母さんが、何とか自分の子供を学校に入らせたいために、学校の先生の名前を騙って、「こういう問題が出るから、貴方はこの時はこう書きなさい、ああ書きなさい」と何人かへ連絡をしたのですね。その通り書いた人は皆落っこちた。
 そして、自分の家の子は入った。いずれ捕まると思いますね。
 そういう様な行為をした。あるいは人を不幸にするような事をした。

 喧嘩をしても良いのだ。その原因がどこにあって、どうしてそうなるか。
 心の中で憎んでもいけないんですよ。あんなお友達嫌いよ。あんなのと付き合うのは嫌だ。良くそういう子がおりますね。そういう場合も、相手が悪くてもこちらの心で正しく受けて相手が解るように方便を取って対話する様にして行く。こういう様にするという事が大事です。

 それから、今度は社会に出ますね。社会に出ると使われる場合もあるでしょう。従業員を使う場合もあるでしょう。
 自分だけ中心にならなかったか・・・。

 そうして結婚する場合もあるでしょう。恋愛する人もおるでしょう。恋愛の中で自分の心のブレーキを持つことなく、無節操のままに突っ走らなかったか。
 あるいは、恋愛の中で自分自身の好きな相手に嫉妬を燃やし、そうしてその人を苦しめる様な事をしなかったか。
 結婚して、やがて子供が生まれる。夫婦の調和の関係・・・。

 こういう事を、一つひとつチェックする。
 五千項目ある。五千ですよ。その五千項目が皆さんの心に、フワッ、フワッと皆さんの心にスモッグを作って苦しみを作ったんですよ。だから、それを皆さんは勇気を持って修正してご覧なさい。皆、後光がフワッと出るよ。
 頭からも、身体からも後光が出るように心を綺麗にしてから、今度は二度と間違いを犯さないこと。
 だから、心を外に向けてはいけないの。外に向けると欲望、内に向けるとブレーキです。ものを正しく見られるようになる。外に向けると、フワッフワッとしますよ。

 今は若い人達なんかは、特に高校生・大学生になると男女の問題、友達が手を組んでいると自分が寂しくなります。誰か友達いないかな。心で思って、口では言わない、同じですよ。
 それならば、堂々と友達になって貰えば良い。陰で、こそこそやらないことです。
 そうしたら、お父さんにもお母さんにも、「こういうボーイフレンドがいるの」と、いう様にね。堂々と言うの。ところが、心の中に入れてしまってね。
 親は知らない。自分に家の子供は真面目に行っているんだ・・・。

 心の中で思っても駄目だ。だから、そういう事もまず反省しておく。
 それで大体、一定の年頃になって参りますと、皆さん位になりますと、色々体験して、心の浮気を良くやるんです。違いますか・・・。
 貴方は丁度二十七・八才の頃、三十才頃に色々エロエロとやりました。思い出せますね。だから、そういう事をさ・・・。本当に・・・ね。

 この中でね.電子管を通してね、こういう事思っていました。こういう事やりました。ああいう事やりました・・・。
 街頭でなら賃金要求だけで歩けるのだが、皆さんの思っている事をここにキラキラ出られたら、皆さんどうしますか。歩けますか。どうですか。
 あの世はこういう所なんですよ。あの世という所は、みな解ってしまいますよ。
 この世はその点・・・。イエス様は僕に言いました。「お前たちは良いな。俺達の世界では、あの野郎、馬鹿野郎と思っても分かるけれども、人間同士はみな分からないから良いな。俺もあの世は良いよ」と。向こうで言う「あの世」は「こちら」ですから。
 「あの世は良いよ。お前達は思っても他人には分からない。こっちの方へ来ると不便だよ。皆分かってしまう。」本当に正直な世界ですから。あの世はね。
 貴女は好きな人がおったとする。貴女が好きな程度が95%だとする。こっちの男性が同じ様な95%の愛し方が無いと結婚出来ないんだよ。
 この世は嘘ついても構わないね。本当は苦しいんだ。だから「貴女好きだよ」と、こっちへ言い寄る男は・・・。最近そんなの流行っていますね。そうしてその人を自分の恋人にして、そして大きなお荷物を持って苦しんでいる人もいるんだよ。
 そうなると、実際はこの世では嘘つける訳だ。ところが苦しいんですね。本当のこと言ったら、妻女が居るのにね。違う女にそんなこと言えるものではない。
 そういう事はあの世では出来ないから、イエス様が言うんです。「君達は良いよ。しかし、苦しみのお荷物を背負うから、結局同じだな」という訳ですよ。
 だからこういうものですから、思っても駄目なんですからね。はっきり言うと。
 女性に対して、男は裸にしてしまうんです。裸にしたら終わりなんだからね。これは全部記録される。何月何日思いました。思ったことがパッと出るんですよ。厳しいもんですわ。私なんかあの世へ行くと、心に記録されていますね。ビデオテープですから。四十何年間のビデオテープをちょっと公開してやろうと言われて、僕一人部屋へ入れられまして、見ておった。映画で映るならまだ勘弁出来るのです。映画ではないです。立体モーション・ピクチャーだよ。そのままの芝居ですよ。ゾオーとしました。この中でゾオーとしない人は一人もいないよ。
 こういうチビちゃんはまだそこまで行っていないが、それでもチョコチョコ出ているね。こちらの後ろの坊やはそこまで行っていないね。この位になると、チョコチョコと『色々あるね』、「無い」、『あるよ、あるよ、ある。四年位の頃にある』と言っているぞ。「いやだ」、『まあいい、言わないから』
 こうしてね、四才位から色々の現象が出て来ます。そのままの形で出されるのですよ。もう、ひどいものだから。それを自分で見ているのですよ。大変なものですよ。だから、あまり変なこと思わない事ですよ。
 それはもう、今の映画なんていうもんではないよ。あんなのを出されたら、ポルノ映画なら一発で駄目だ。地球上なら・・・。もうひどい所を出されますよ。それが自分ですよ。自分の姿ですよ。恐ろしいものです。それが心の中に、全部のビデオテープになっているのですから。

 それを多宝塔(たほうとう)と言うのですよ。



 10.多宝塔・過去からの記録・宗教思想屋


 勿論、過去の事が皆出ています過去何千年前、何万年前まで全部皆さん持っているんですよ。それが現象化されるんです。それを見られたら、もう嫌になってしまいます。
 そうすると、過去から見るから、「僕はこういう特徴があるんだな。こういう特徴を直さなければいけない」という事を自分で知るようになります。恐ろしいもんです。
 ですから、上に立つ人ほど謙虚で、そして自分を正さなかったら、ひどい目に合いますね。特に政治とか、権力とかそういうものによっているうちは良いんだ・・・。

 宗教屋とか思想屋ね。マルクス主義で、結局マルクスの本当の真意を解せないで、そういうものを知らないでやって、多くの大衆を狂わせたとか、或いは、宗教というものをやって拝ませて、人を狂わせた。こういう人達の罪は非常に重いんです。ですから、上に立つ人ほど大変です。
 ですから、まず、皆さんの身近な町の拝み屋がおりますね。ああいう人達はまともな所で死ねないというのはね、その為なんですよ。間違った事を教えているからです。
 そういう様に拝み屋さんを見たら、その拝み屋さんの私生活、一日の生活がちゃんと正しいか、これを皆さん見ることだ。口の先ではどんな事でも言えるよ。その人が本当に正しい生活をしているか、という事を見ることです。
 八正道を実践していないような指導者なら辞めることです。間違いを犯します。ですから、そういう面を観察することです。
 そうして、霊的な力で思っている事とか、いろいろな家の事、出来事など少し位当たったからといって信じてはいけません。
 そんなことは、狐だって言うんです。蛇だって教えます。地獄霊だって分かります。魔王が出たら、又、ひどく相手を恐怖心に落とし入れます。
 違いますか。おばちゃま。恐怖心にね。



 11.質疑応答(問いは聞き取れませんでした)

 某の問いに答えて
 『だってさ、長い年月その様にして来たんですから。仕方がない。一遍に直せったってね。一遍に直したら、ボキッと折れてしまうよ。それで良いの。徐々に直せば良いの・・・。
 貴方は何年生まれなの。大正十一年ということになると五十三年間の毒を食っている。その五十三年間の長い毒を、一遍にピーンと直せと言っても無理です。徐々に直さなければね』


某女に対して
 『それには色々あるの、事情があるの。貴女は知らないのね。言わなくても良いの。知っています。貴女のことなどは、展開されたら恥ずかしくて言えないよ。言えないでしょう。自分でも解るね。それは早いうちに投げ出して、万歳した方が良いですよ。「私の思ったこと許してください」とね。しいて言えば、字を書いた位でね。だから心はいつもフラフラしてね。そういうものを、バチッとしなかったら駄目になってしまうよ。貴女の所に来ておったのは魔王だよ』
 『そういう様に、人間の心というものは、針がこちらへ向けばこちらへ行ってしまうのだから・・・。恨(うら)めば恨みの世界。人を救ってやろうと思えば光の世界。思っても駄目ですよ。ですから、思うという事から正して行かなければならない。それを私は教えているのですからね。
 人間は人生の色々な体験を通して自分というものを作ってゆく訳です』


 某に対して
 『貴方も色々苦労していますね。色々な面で、違いますか。人生の中でね。年はまだ若いでしょう。まあまあでしょう』


 そういうようにして、人間は心の在り方が大事なんです。その心の在り方を間違えた時から苦しみです。ですから自分で苦しみを作らんことです。
 すると、ある人はこう言いました。「消極的になりますね」と、そんなこと絶対に無いですよ。
 私等はね、それでいて自分で事業をやったり、本を書いたり、講演に歩いたり、それから個人相談を受けたり、事業だって一つや二つではないですよ。それでもちゃんとやっているではありませんか。最も積極的に動いているではありませんか。
私等の事業一つだって大仕事なんですよ。今私の所ではコンピューター、電算機を造っています。電算機と云ったらね、部品だけでも何千種類とあるんですよ。そのものをちゃんと造って。とにかく、その電算機だけでも二千五百代から二千八百代造っています。
小型コンピューターでは今、うちが日本で一番造っています。量産からすれば一番上がっています。ほかで出来ないから、皆うちへ頼みに来るようになっています。現在の所、注文数が約二十万台あります。二十万台ですからまだまだ五年、十年続くでしょう。その間にまた、四十万台という事になるでしょうね。
それ以外に、カセットも量産に入り始めました。カセットテープね。そういうように、そういう事業をやりながらやっているんですからね。
僕はあらゆる所へ飛んで講演をし、間違っていれば。『貴方、それは違うんだよ。このようにやりなさい』病人が出れば、『貴方はこういう様に治しなさい』
北海道から九州までやって歩いているんですよ。来年は、北海道から、東京からズーと広がって行きます。我々のグループが北海道へ、もうボツボツ個々の声を上げて出る頃です。そういう人達が自然と盛り上がって来ます。九州の方はお医者さんグループが多いです。お医者さん達の前でそういう奇跡が起こされてしまうから、お医者さん信じざるを得ない訳ですね。そういう所から九州方面は九大グループ、九州大学医学部の先生が多く集まって来る。勿論、九州の財界人も大分入って来ております。
こうして我々の神理は、段々こうして、日本の方は、太平洋岸に広がって、暖かい方へ行くという事は、今から四年前GLAの講演会の時に予言しました。この盛岡は日本海ではないですね。太平洋岸ですね。それからずーと太平洋岸に伸びて行くのですよ。それが本当なのです。
我々の神理を聞いてそれを実行する人達は、もうあの世で、過去に於いてやった人達がいるからなのですよ。皆さん、みんなやった人達なのですから、聞く耳を持っているのですよ。そしてそれを自分が実行する人達は、また自分から偉大な力を発揮して行くんです。
こうして我々は自分の心を一つずつ綺麗にし、心のスモッグを除いて、毎日の生活をする。そして寝る時に出来得れば、一時間ぐらい、朝の起きた時から寝るまでのことを良く反省し、寝る時に、
『私達の心の中におる神よ。今日も一日有り難うございます。もしも、今晩このままあの世へ帰る事があったとしたならば、光明の世界へ導いて下さい。連れて行って下さい。もしも明日元気であるならば、明日も一生懸命ご指導お願い致します』と、こうやって皆さん寝ることですよ。



 12.食物に対する感謝

 それから、日本では形式というのがありますね。食事の時に手を合わせて形だけやるというのがあります。そんなもの幾ら恰好でやっても駄目ですよ。
何故ならば、お米一粒、野菜一葉、これ全部が、彼らは人間の為に生命を投げ出しているのですよ。ですから粗末にしない事です。
 それから、『あれが嫌い、これが嫌い』と言うわないこと。好き嫌いというのは罰当たりですよ。ですから、好き嫌いは絶対にあってはいけません。自分自身はそういう物を頂いて、彼らは我々の為に生命を投げ出してくれたんだから、『有り難うございます。無駄には致しません』
 肉を食べる事だって、彼ら豚や牛は、我々のために命を投げ出してくれているんだから、『貴方達は私達の血や、骨や、肉になって下さいね』と、そうやって心から感謝することですよ。そうでないと、例えば牛肉ばかり売ってね、金を儲ければ良いんだ、と言ってそういう仕事をしている人達に感謝が無くなると、今度はそういう家の人にポカッと憑いてしまう。
 鳥屋をやって、鳥ばっかり売って感謝が無くなると、顔までその様になって、ココココと・・・。あるんですよ。
 神田という所にトンカツ屋が在る。これは儲けて、儲けて大変だ。ところが、その家のご主人から子供まで、口がこうやって(豚の口をまねして)酷いもんです。顔を見たら、豚屋だという事が判る。
 それから、東京にはもっとひどいのが在りましてね。浅草のそばにある猪鍋というやつをやっている山口屋というのが在る。私達が大学におる当時はその猪鍋というのは非常に高い物ですがね。食べに行く頃から可愛いお嬢さん達が四、五人おります。娘さん達です。それが成長して結婚したが、現在では皆、旦那さんと別れてしまい。商売も左巻き、もう店やっていないですわ。あの側へ行くとね、猪のビューと側を走るのが、肌身に感じますよ。恐ろしいものです。だから、そこで猪の霊に対して、『皆さんのお蔭で私達は生活しています。猪の皆さんよ、一つ人間の血や肉や骨になって下さいね』と言って心から慈悲の心、愛の心を持っておったなら、そういう事にはならないんです。恐ろしいものですね。
 もう一つ、東京には有名な牛肉を売っている家が在ります。名前は言いません。その家のお嬢さんが、やはり結婚を三回やっても、四回やっても、五回やっても皆別れる。一晩で、という事は、結婚した晩に旦那さんを舐(な)めてしまう。牛は舐めますね。子牛を舐めますね。舐めませんか。舐めますね。同じようにね、ご主人を舐めてしまう。だからびっくりしてしまって「ワァッ」とね。今でもありますけれどね。皆さん、米久というのを知りませんか。有名な店ですわ。恐ろしいですよ。そういうのは感謝が無い訳ですね。
 そういうのを見ると、後ろの方に角の生えた顔、体が人間の様な牛がポカッと憑いているのです。恐ろしいですよ。
だからまず、感謝の心を持つ。そうしたら無駄にしない。感謝だけでは困るんですよ。報恩という行為が無ければね。




 13.感謝と報恩

 感謝というものに対して、報恩という行為によって感謝の意味があるんです。輪廻するわけですね。太陽が東から西へ沈むように、万象万物は皆輪廻しているように、感謝と報恩という行為によって輪廻するんですよ。
 そういう事を知ったならば、我々はただ『有り難うございます』ではなくて、『有り難うございます』を行為で現わす事です。何事においてもそうですよ。ですから、生活環境というものから、自分を完成して行く事が大事だという事ですね。
 こういう事を皆さん、しっかり知って頂いて、今年来るか来年来るか分かりませんけども、皆さんの頭から、みんな後光がチラチラ光っているように、一つ今度来る時までになって頂きたい、と思います。
 そうすると、その中からまた、大きな奇跡が起こって来るからです。





 14.奇跡と現象

 奇跡というものは、あの世の協力があるから奇跡が起こるんですよ。
 その頃の奇跡という事について、過去世の人に聞いてみましょうか。
 今そちらに、ピリボと云われる方がおりますから、当時のことについて、その人から聞いてみましょう。

この方は、今から二千年前のイスラエルの言葉です・・・。

 私はイスラエルの時代に、ピリボ・カイザリアという所の出身でピリボと云われました。
 私はその頃、イエス様の神理を通して自分の心の調和をし、当時の病める大衆に私はイエス様の法を伝え、私は肉体的不調和な人々に神の光を与えて治した、多くの奇跡を起こした事を記憶しております。
 その当時の事を今、この国の言葉に通訳を致します。
 「私は今から二千年位前に、イスラエルに生きていた者でございます。当時のイスラエルはとても人の心が乱れていました。多くの人々は殺し合い、憎しみ合いました。私達はイエス様と呼ばれる方から、イエス様から人の生きる道について多くのことを学びました。それは、愛という事についてでございます。
 愛とは許す事だと教えられました。与える事だとイエス様から教えて頂きました。私達はその教えを多くの人達に伝える為に色々な所へ参りました。この部屋におられる高橋興和さんもその時の仲間です。パウロさんは遠い遠い所へ、多くの苦労を重ねながら、イエス様の愛を伝えて行かれました。
 仲間たちの多くは、悪魔に心を売った人達によって殺されました。しかし、私達は、多くの人達は、人々にイエス様から教えて頂いた多くの事を、あっちでもこっちでも、一人ひとり伝えて歩きました。
 今二千年という月日を越えて再び、偉大なる光の大天使、信次先生にお目にかかれて、再び大きな愛ということを含め、多くの事を学ぶ機会を得た事は私達にとって、とても幸せなことです。私達はイスラエルの時と同じように、今この乱れた世の中で多くの人達に、先生に教えて頂いたことを伝えねばなりません。
 そうして、この地上の人々の心が、調和という大きな目標に向かって歩いて行くように、私達は一生懸命に生きて行きたいと思います。宜しく、皆さんもお願い致します。
 今、私達が日本の国の人達に神の教えを伝える為に、また降りております。私達の過去の時代に、アジア、ギリシャ、ローマ、スペインの地まで、伝道の旅を致しました。それは大変、厳しいきびしい旅でございました。その旅は一つの旅を終えるのにも三年、十年と掛かった事もございました。現在のように、交通機関が未だ発達していない時代のことでございます。その為に私達は、厳しい試練を通して人々に神の教えを説いたものでございます。
 今、皆様が偉大なる心の法則を知り、その法則を通して自らが正しい人生を歩んだ時に、皆様は永遠の生命を、自分自身の心で知ることが出来るのです。私達は、皆神の子です。
 皆様一人ひとりの心の中には、偉大なる神の子としての霊が宿っているのでございます。
 皆、神の子として、私達はこの神の体である地上界に本当の神の国を築かなくてはなりません。神の国は、遠いとおい世界に存在するのではございません。私達の住むこの地上界は、既に神の体である、私達神の子が住む神の国なのです。それは私達一人ひとりが神の子としての偉大なる心を相違して、それは私達一人ひとりが神の子としての偉大なる心を相意して、その心を通し人々の心と心を通い合った、補い合い、助け合い、許し合い、また分かち合う、この愛の行為を通して築かれて行くものです。
 どうか、頑張って下さい。家族に尽くすのです。家族内に築かなければ私達の使命は果たされないことを知ってください。
 どうか皆様が、毎日毎日、心を正し豊かな心を作られん事をお祈り致します。

 『イエス様の当時、神に祈る言葉でした』
 『天にまします我らの神よ、願わくは吾に御名を崇められ賜え』祈りの言葉です」

 ここの所にも、過去世の人が傍に来ております。
 貴女(舘沢さん)はイエスの時も出ました。先程のパウロの話をマケドニヤで聞きました。この方はインドに生まれ、更にイスラエルの地方マケドニヤに生まれ、さらに中国にも生まれております。この方は、その国のそれぞれの言葉を喋り始めます。

 「私は二千年ぶりで会うことができました。胸が一杯で何も言えません」

 この様な事は聖書の中、使徒行伝第二章に書かれてあります。華厳経十地品の中に、過去の言葉を思い出す事を書いてありますから読んで下さいね。

 ナンノンネンネンとは、中国の言葉で日本の南無阿弥陀仏と同じことです。「仏様に念ずる」という事です。守護霊が側に来ておるのです。

 このように転生輪廻を否定できないのです。このように過去世の言葉を語る現象は、イエス様の時代以来のことです。当時はイエス様とは言いません。イマネルと言いました。お釈迦様の時代(インドの時)にもありました。インドの時代は、過去世を思い出した方を羅漢(アラハン)と言いました。インドの言葉では、バラモンの言葉でシュバラーと言います。過去・現在を自由に見ることの出来る方をアポロキィ・シュバラーと言います。
 当時のバラモンの言葉です。
                                    - 完 -





















GLA誌 1974年7月号より転載





2013.01.20 UP






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