高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします








【 祈りについて 補足-2 ・・・ 園頭広周先生による





【 正しき祈りの方法 】

 私の周辺には別に何の苦行や修行をしなくても、奇跡を起こす力を持った人達が続々と現れつつある。
 それはどうしてであろうか。

 そのことについては高橋信次著『人間釈迦』にこう書いている。

「正しき生活行為、つまり調和に向かって努めている時には、その願いごと、祈りは大抵叶えられる。正しき『祈り』は、次元のちがったあの世の天使の心を動かし、その願いを叶えてくれるからだ。この意味から『祈り』は天使との対話であるといえる。奇跡は、こうした『祈り』によって起こるものである。」

 すなわち、八正道によって正しい生活をしつつあると、その祈りは必ず実現するのであり、奇跡を起こすのは天上界からの協力であるというのである。「大抵叶えられる」ということは、叶えられない場合もあるということであるが、その祈りが欲望を目的としたものであったり、その祈りが実現することによって誰かが不幸になるというような祈りは実現しないのである。

 奇跡は自分が起こすのではない。我々は、天上界に心の波長を合わせ、天上界に対してその祈りが聞かれますように、自分の心を慈悲と愛によって満たして祈ればよいのである。

 宗教家を志した人々が、最初はいろいろな奇跡が起こっていたのに、次第に奇跡が起こらなくなってきたのは、最初はきれいな心で慈悲と愛に満たされていたのが、いろいろな奇跡が起こりはじめると、いつのまにか天上界からの協力であるということを忘れて、自分の力であると過信して増上慢になってしまう。そうなるといくら祈っても絶対に祈りは聞かれないということになる。多くの宗教家が堕落するのは増上慢になって、敬虔さ・謙虚さを失ってしまうからである。

 要するに我々は、天上界からの協力が得られるように、そのパイプとなればいいのである。パイプの中にいろいろなものがつまっていると流れが悪くなるように、自我意識が強くなると祈りは聞かれなくなる。
 そこで自分の心、生活が八正道に叶っているかを常によく反省し、悪い点は修正し、禅定によって自分の心のあり方を確かめるということが必要になってくるのである。そのために「正定」、正しい禅定の仕方も学ばなければならないことになってくるし、正しい反省が必要になってくるのである。


  - 完 -

                           【 現代の釈尊 高橋信次師とともに 】 より




2017.06.30 (金曜日)UP