高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします






特集 正法と現代宗教



正法と神道-3




【 習慣、習俗、習性 】


ある時代に、ある社会的状態の中でつくられた慣行は神理ではない。神理は永遠不変でまた普遍妥当性がなければならない。日本では信じられるが外国では信じられないというものは神理ではない。よい慣行は持続することもよいが神理と習慣、習俗、習性、慣行を混同してはならない。一定の習俗の中に生活していると、内心ではやめたいと思っても周囲から異端者だと見られるのを恐れて一人ではなかなか改善できないものである。個人個人の力ではどうにもならない場合、大きな政治力で改善しなければならない場合もある。
一つの社会習俗の中に生まれると、多くの人達はそういう習慣がずっと昔からあったように信じ込んでしまうものである。例えば今年も元日の有名神社への初詣は物凄いものであった。おかしいのは日頃無神論者だといっている若者達の参拝が多いことである。無神論者であるならば参拝すべきではない。このことは日本人の信仰に対する無節操さの現れである。参詣した人達は、日本人は大昔から神社参拝をして来たように思っているが、神社ができたのがごく近年のことであるから大昔からやっていたわけではない。

例えば、明治神宮が造営されたのは大正九年十一月一日(1920年)で約六十年前のことであるが三百万人も参詣したという。私の家の近くの太宰府天満宮の造営は延喜十九年で約千六十年前で、古いといえば古いともいえるが永い人類の歴史から見れば、ほんの昨日のことでしかない。

人間が歴史の中のある時期に勝手にこしらえたものは神理正法ではないのであるから、それは信仰の対象とはならない。その習俗を持ってきた年数が永いと、その間に生まれ且つ死んで行く人間は、人間が勝手にこしらえた習俗を神理である、正しいと信じてしまうという誤りを犯し易いことになる。一般には古い由来と思われている神前結婚式にしても、明治三十三年(1900年)に、大正天皇のご婚儀が、神式で行われた様式が民間に普及したものであるが、それでも神前結婚式が一般化したのは終戦後であって、終戦前は、神前結婚式をする人は少なく、農村では親戚一同集まった所で、三々九度の盃を交すだけであった。終戦後、唯物論、進化論がさかんになり、無神論者が増え、神国日本が否定され、神仏はないといわれたのに、終戦前とは比較にならないほど、元日の神社参詣、或いは色々な祈願が増え、神前結婚式大流行というこの現象は、どう理解すればいいのであろうか。信仰的に無節操だといえないこともないが、隣がすれば自分の家でもそうしなければ落ち着かないという、このような体質は、ひとたび世の中の流れが変わると又なんの抵抗もなくそれに変わるということである。

仏教の年忌供養、戒名をつけて位牌をつくる、墓をつくる、特定の日に坊さんを頼んで回向(えこう)するということは、日本の坊さん達が勝手に始めたことであって釈尊が定められたのではない。しかし、そういう習慣の中に生まれてくると多くの人達は釈尊がそれを決められたように思い込んでしまう。

徳川幕府の政策によって寺院の本末制度(本山と末寺の関係を定める)と檀家制度が決められ、坊さん達の生活が安定してくると腐敗が起こり、坊さんで金貸しをするもの、二号、三号を置いて賃家の支配をさせる者、仏法を説くことよりは寺院の経営に重きを置いて農民を収奪する者など被害が余りにも大きくなりすぎたので徳川幕府も各大名も寺社奉行、監理官を置いて寺領を没収した。収入が少なくなった坊さん達は、吉祥天、弁財天、毘沙門天、子安観音、子育観音、地蔵菩薩、鬼子母神、薬師如来等、とにかく人を集めてお賽銭を増やし収入を増やすために色々な像を建立し、また、ご開帳をやって縁日を開いた。祈祷寺では、星祭り、占い、祈祷をやる、等して江戸の中期は仏教の頽廃期となる。

 
ここでまた高橋信次先生の言葉をお知らせして置きたい。

 「お釈迦様が二千五百年してジャブドーバーのケントマティー、東の国日本の都会に再び生まれて正法を説くのである。ということを予言をなされた。それによって日本は神国として守られることになった。いよいよ出生の時が近づいてきて日本のどこに生まれてゆくかということが天上界で計画されたのが寛永二年である。日本で正法が説かれるようにするためには徳川幕府のままであってはとてもだめである。一般大衆はすべて権力の支配下にあって自由がない。徳川幕府の制度の束縛から解放して自由にするためには、日本を天皇制に返さなければいけないということで明治維新が計画されることになった。その明治維新を実現させるために、天上界の計画に従って江戸の中頃から勤皇思想を起こさせるということになったのである。」と。


 正法と神道-1に書いたように、明治維新が実現しようとする直前に、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、ドイツなどそれぞれに本国に戦争が起こって日本にかまっていられなくなり、それぞれ本国へ引き揚げた奇跡も、日本を正法が説かれる国にするための天上界からの計画であったと考えられる。

 廃藩置県により近代的国家体制の樹立を図った明治政府の宗教政策は、伊勢神宮と皇居の神殿を頂点として、一町村に一社の氏神(産土神)を造り、神道によって国民信仰を再編しようとすることにあった。これは民衆の精神生活を理解しない強制であるということができるが、そうしなければならない原因もあったのである。
(産土神=うぶすながみ:その人の生まれた土地を守る神。鎮守(ちんじゅ)の神)

 江戸時代の中頃から、祈祷によって憑きものを落とす憑祈祷、巫女占い、口寄せ、六部や遍路乞食(明治五年、大阪府が調査したところ、廃疾によってやむを得ず乞食になったのは全体の十分の一で、それ以外は無頼放蕩の怠け者であった)、怠惰で仕事嫌いで社会的に浪費するだけの人達が各戸に門付けをして歩く。或いは祈祷などによって財産を失うという傾向があり、また、若者組が祭礼行事の中心になって寄附を強要して困らせ、行事に熱中して地域の秩序を乱して村落の支配者層と対立する。お祭りなどで集団行動をする若者組には、とにかくどこでも困っていた。或いは習慣にひきずられての「もの入り」が非常に多いということで、それはとても一人の力だけで、また一地方だけで解決できる問題ではなかった。だから明治政府としても、国民の心を国家目的に統一させてゆく上にも神道を中心として天皇に心を結集させるために何らかの政策をとらざるを得なかった。
 だから各県によっていろいろな禁令が出された。列挙してみよう。

(六部(ろくぶ):六十六部の略で、本来は全国66か所の霊場に一部ずつ納経するために書写された66部の『法華経(ほけきょう)』のことをいったが、のちに、その経を納めて諸国霊場を巡礼する行脚(あんぎゃ)僧のことをさすように なった)


1. 正月の門松、立春の鬼払い、厄払い、節季の饗応の禁止節約
2. 神仏の名による種々の講の禁止
3. 神仏の縁日、日待、月待、厄日待などの禁止
(日待(ひまち):村の近隣の仲間が特定の日に集まり夜を徹してこもり明かす行事)
4. いわれのない物品の寄付、乞食への施しの禁止
5. 淫祠の堂を立ててはならない
(淫祠(いんし):いかがわしい神をまつったやしろ・ほこら)
6. 浄瑠璃、三味線などを学んで仕事を怠ってはならない
7. たびたび祭りをして大勢で飲んだり食べたりしてはならない
8. 結婚、喪式、出産、宮参りなどのご馳走は程々にして分を過ぎないように
  (子供が生まれて宮参りをするという習慣は、明治四年七月布告の「氏子調規則」によって新生児は必ず産土  神に詣って守り札を受けなければならないとされたことに始まるので、宮参りしなければ神が守って下さらな  いということはないし、一回しか使わない宮参りの着物に何万円もかけるということは無駄なことある)
  (氏子調(うじこしらべ):1871年(明治4年)から1873年にかけて明治政府が行った日本の政策である。国民に  対して在郷の神社(郷社)の氏子となることを義務付ける宗教政策である。宗教政策の側面と同時に、戸籍や  身分証明の側面を持つ。これは、先史の寺請制度の後継制度と言え、寺請制度は同年9月に廃止されている。  簡単に言えば、それまで寺請制度によって仏教寺院の檀家となることを義務付けられていたのが、神道の制度  に置き換わったということである。しかし、明治6年(1873年)5月29日、太政官布告第一八〇号にてわずか   2年で廃止された。宗教政策としては、キリスト教禁止(邪宗門厳禁)や神道復興の側面を持つが、内政とし  ては戸籍制度の補完、行政単位の区分けという側面も持つ)
9. 普化宗、修験宗の廃止
  (普化宗(ふけしゅう):江戸時代虚無僧(こむそう)の集団が形成された特殊な宗派で、教義や信仰上の内実はほ  とんどなく、尺八を法器と称して禅の修行や托鉢のために吹奏した)
  (修験道(しゅげんどう):山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の  山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教。修験道の実践者を修験者または山伏という)
10. 僧侶の托鉢禁止
11. 祈祷、禁厭によって医薬を防ぐる者の取締り
  (禁厭(きんえん):日本在来の呪術のこと。まじないをして、悪事・災難をとどめること)
12. お産を穢れたものとしてはならない
13. 僧侶に妻帯、蓄髪を許す
14. 裸体、肌ぬぎ、男女混浴、春画、刺青などの禁止
15. 素人相撲、門付芸人、万才などの改めなど
  (門付芸人(かどづけげいにん):日本の大道芸の一種で、門口に立ち行い金品を受け取る形式の芸能を行う者)


 徳川三百年の治政の惰性、宗教家の頽廃、猥雑と怠惰と浪費と迷信俗信を生み出した。そうした風潮を改めて、勤労と良俗を基として近代文明に向かわせるためにはどうしてもこの方な禁制は必要であった。

 神道による精神復興は、政府が仏教廃止を指令したわけではないのに、全国的に仏像や寺を焼却する、仏具、経典を焼却するというようなことが行われ、国家に功労のあった人を神に祭るということになって神社がつくられた。日露戦争の乃木大将、東郷元帥も乃木神社、東郷神社として祭られることになったのもその影響である。

 正法で神道といっているのは、このような「人霊」を祭る神社神道をいうのではなくて、神殿を造らず、祭りの対象である神体、神像、神鏡、神剣などをもたない古新道のことである。神武天皇は神殿を造られることなく鳥見山に神霊を祭られた。その神武天皇の建国の理想によって王政復古をしようとした明治維新が、近代日本国家を建設することになったけれども神武天皇の心、古事記に示されている神観に叛いて、神社神道を盛んにすることになったのは皮肉である。

 こうした明治政府の国策によって定められた政令に組み込まれてしまった日本人は、元日に神社に参詣すること、神社に祈願すること、宮参りをすること、などが信仰であるという習慣の中に落ち込んでしまって、そういう習慣、習俗の中に生まれてきた若者達も、一方では無神論だといいながら一方では元日に参詣し神前結婚式をすることが何ら不思議とも思わず、むしろそれが正しい信仰であるかのように思っていて疑わないというのが現状である。習慣、習俗というものはまことに恐ろしいものである。



【 習慣、習俗を超越して正法神理を知ること 】


 一町村に一社の氏神(産土神)をつくり、神道によって国民信仰を統一しようと明治政府が計画したことが、子供がどこの家に生まれるかを定められるのが産土神であるということになり、「お産後のお宮参り」の習慣が生まれたがこれは神理ではない。どこに生まれるかは天上界で自分が決定して生まれるのである。日本の新興宗教の中には、明治政府が国家統一の国法として決めたことを、あたかも宇宙創造の神が定められたように「教義」として説いているところがある。

 鎌倉時代以前は百姓町民は仏壇など持たなかった。それが歴史事実であるからということで仏壇はなくても先祖供養は出来るのであるということを終戦前に言うことが出来たであろうか。そんなことを言おうものなら、たちまち弾圧されたであろう。

だから、正法が正しく説かれるためには時が必要であったのである。

 そういう点において、正法を正しく説く団体は終戦前からある宗教団体ではなくて、終戦後に新しくつくられた団体の中から探さなければならないということになるのである。

我々は明治政府の宗教政策の下でつくられてきた神道によらないで、素朴な古代の日本人が、神をどのように考えてきたかということを、古事記、日本書紀等の古典によってもう一度知らなければならない。もっとも明治の新道も古典を基にはしているけれども歪められている部分があるからそこは修正しなければならないというのである。

 例えば明治の国家神道では、伊勢神宮と皇室の祭祀を頂点として統制するということであったから、伊勢神宮の祭神、天照大神以上の神は説かなかった。古事記の中には、天照大神出現以前に、沢山の神がある。前篇1・2に書いたように、我々日本民族の祖先は、宇宙最始原の創造神を天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と呼んでいる。この天之御中主神は国民信仰の対象とされないで天照大神が対象とされた。だから終戦前の教育を受けた人でも、天照大神という名は知らない人はないが、天之御中主神という名を知らない人は多い。天照大神は太陽の主宰神であると教えてはいたが宇宙創造の神は教えなかった。今の子供たちは漫画や図鑑などで太陽系以外の銀河宇宙とか他の星雲の存在を知っているから、太陽の主宰神は天照大神であると教えればその次には必ず「宇宙全体の創造の神様は何というのか」と聞くであろう。

 
歴史は天上界の計画と人間のあり方によってつくられてゆく。

 個人の運命はその個人の、民族の運命はその民族全体の、人類の運命はその当時の人類全体の心のあり方によって定められてゆく。この因縁の法則は個人の運命だけでなく、民族、国家、人類全体の上にも現れるのである。世界的な規模における事件は世界中の人類がみな自分自身の問題として反省しなけらばならないわけである。天災地変は、そこに住んでいる人達の心と決して無関係ではないといわれているのであるから天災地変を免れるためにはそこに住んでいる人達の心を清くしないといけない。

 「アトランティス大陸は、アガシャによって正法が説かれ、高度の文明の発達した国であった。そこに今の共産思想と同じ思想を持った集団が現れ、正法を説く指導者達を殺した。そのために陥没させられたのである。」と高橋信次先生は言っていられた。

釈尊が説かれた反省は、一人一人の個人の運命についての反省だけをいわれたのではなく、民族は民族として、国は国として、人類は人類全体として反省しなければならないことを教えられたのである。歴史教育がなぜ必要であるかというと、その民族、その国の過去のあり方の中から、こうすればこうなるという事実を知って、さらによりよく発展させてゆくにはどうすればいいかを知るためである。日本では終戦後、アメリカ軍の占領政策によって歴史教育が禁止されたために、終戦後の教育を受けた人達は、世の中のことを歴史的に見るということをしなくなってしまった。

 私は終戦後、マッカーサー元帥を頂点とするアメリカ軍の占領政策が日本弱体化政策であることにいち早く気付いた。その弱体化政策によって日本民族が持って来た民族性の長所までもが抹殺されて、日本民族が持っている素晴らしい伝統、精神が消えてゆくことを黙って見ていることが出来なかった。なぜ私がそう思ったかというと、それは私が霧島神宮で古事記などの勉強をしたことと鎮魂をして得た啓示とにある。



【 釈尊の予言と私の使命 】


 釈尊がインドで涅槃に入られる前、「あと二千五百年したら東の国、日本に生まれるのである」という予言をされたこと、そのために日本は守れれて来たのであることは度々書いた。

 私はソロモンのニュージョジアでアメリカ軍と戦闘をした直後、鹿児島の連隊付を命ぜられて昭和十八年十月に鹿児島に帰った。その時、既に日本は負けることを知っていた。鹿児島市中央公会堂で、銃後国民の志気高揚のために第一線の実情を講演してほしいと頼まれた時も、「このままでは日本は負ける」と言って後で憲兵に狙われることになったが、既にその時から私は、敗戦後の日本はどういう行き方をすべきかを考え、且つ、世界が戦争のない平和を確立するためにはどうすればいいかを考えていた。(銃後(じゅうご):戦争の状況下で、戦場における銃の後、すなわち前線に対して、直接の戦場ではない後方という意味)

 
人間のすることは、まず「思う」ということとそれを行動化することにあるのであるから、何事も、人間の「思う」ということを正しくしないと世界はよくならないと思った。それでこれまでの人類が、どのようなことを思い、どのようなことを考えてきたのか、まず人間というものをどのように考えているのであろうか、ということから世界各国の神話と世界の歴史を勉強した。世界の歴史は、人類の大きな流れを知ればいいのであるから、個々の人物がどうしたかという小さなことは余り気にかけなかった。そうして見た時に一番私の心を捕えたのは、日本の古事記の「この宇宙は神によって造られ、人間は神の子として天孫降臨したのである」という神話であり、その神話を具現しようとしてきた日本の歴史であった。



【 神武天皇の「八紘一宇の理想」は正しい 】

 紘というのは冠の紐(ひも)のことで、顎の下で結ぶとバラバラの紐が一つになる。それと同様に、世界の人類は皆一つの神の生命を生きる兄弟である。だから世界の人類は一つに結ばれて仲良くすべきである。

 この「八紘一宇」の精神は、戦争中、日本の天皇が世界を統一されるのであると解釈されて問題とされたのであった。

 日本民族は世界一優秀な民族で日本の天皇が世界を統一されるのであるから、世界の人類を皆日本人と同じような考え方にして天皇に帰一させることが世界平和の実現になるのであるという国粋主義者たちの考え方によって日本軍が占領すると、必ずそこに伊勢神宮の分社を建てて、その国の人々に参拝をさせるということをやった。その国の歴史、文化、伝統、宗教等を全く無視して日本流の考え方、宗教を強制したことがそれらの国民の反感を買った。

 八紘一宇というものをそのように考えたことは、当然間違いであった。終戦後の教育は、国を愛することは罪悪だと愛国心を否定した。その上に日本はつまらない国だと教育した。だから日本に生まれて損をした。アメリカに生まれれば良かったという子供達が大勢出た。日教組の講師団と教師達の共産主義者とその同調者はソ連、中共を祖国みたいに言った。そうして国旗と国歌を否定した。それが現在でも影響して学校では日の丸を掲げない、君が代は歌わないという状態になっているのであり、若松高校の教師が、君が代をジャズ風にアレンジして式典でギターを弾いたのは、君が代を歌うことは会議で決まったから音楽教師として弾かない訳にゆかない。だが、心では君が代を否定しているその心がそのようにさせたのである。

 世界中どこに行っても、国旗と国歌を愛さない国はない。アメリカも、ソ連も、中共も、みなそうである。

 
過ちは反省して修正すればよい。過ちは改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れである。だから、終戦前の教育の間違い、日本天皇が世界を統治されて初めて世界平和が実現するのであるといって、その国の歴史、伝統、宗教を無視して神道の天照大神の礼拝を強制したことは反省しなければならない。しかし、八紘一宇の本来の精神であるところの、世界中の人類はみな兄弟であるから一つの心に結ばれて仲良くしよう、という精神までなくする必要はない。いくら世界の平和だといっても、自分の住んでいる国が平和でないならば、他の国々が全部平和になったとしてもそれは真に世界が平和になったことにならないではないか。日本という国に生まれた日本人が日本の国にいたままでどうしてソ連、中共を愛することが出来るのであろうか。ソ連、中共を愛するということは具体的にどうすることであろうか。日本の国に生まれた人達は、この日本の国を平和な国にすることを通してしか世界平和に参加できないのである。日本人がこの日本を愛さないで誰がこの日本を愛するのであろうか。少し考えれば愛国心は否定してはならないものであるのに終戦後はアメリカの占領政策によって「愛国心教育」が否定された。占領政策によって否定されたことを利用して日教組の教師は、父兄の監視の及ばない教室の中で「日本は愛する資格がない、ソ連、中共は素晴らしい」と革命思想を吹き込んだ。教師という職は大学を卒業して、相当頭のよい人達であると思うのであるがその良識の程度を疑わざるを得ない人達が余りにも多い。

 ソ連、中共を祖国だといっているが、そのソ連、中共では学校でまず愛国心教育をやっているのである。車中で年長の人には席を譲れという教育もしている。ソ連では「愛と規律の家庭教育」をやっている。例えばその家には母親と女の子二人がいる。女が三人いるのに洋服生地が一人分しか配給がなかった。その時は子供はどうするか、ということに対して「親は働かなければならない。そのためには服もいる。だから私達は今のままで我慢するから、お母さんというのが正しい、とこういう教育をしているのである。もちろん、国旗には敬礼し、国歌が聞こえてきたら起立せよと教えている。

 ソ連、中共ではそういう教育をしているから、ソ連、中共を祖国だというならばそれにならって、日本の子供達にも愛国心教育をすべきではないか。今日、日本の子供達で、「私は辛抱するからお母さん、自分の服を買って下さい」という子供が一人でもいるであろうか。

 日教組の教師たちは次のように教えた。
 「君達は親に産んでくれと頼んで生まれてきたのではないだろう。親は勝手に君達を産んだのだ。親の言うことを「ハイハイ」と素直に聞いてはいけない。親の言うことを「ハイ」と素直に聞くと人間は進歩しない。必ず批判をしなければいけない。親の手伝いをするのでもタダで手伝いをしてはいけない。労働に対しては必ず報酬が支払われなければならない。親が用事を言いつけたら必ず金をもらえ」と。

 
人が世界の平和に参加する道は、まず、親を愛し、兄弟仲良くし、友達と仲良くし、夫婦仲良くし、自分の住んでいる社会環境を愛し、国を愛し、そうして世界を愛するということである。その中のどの一つが欠けても平和ではない。

 このもっとも単純な、しかも、愛の実現の道を否定したのが日教組である。

 このように、平和の破壊者が日教組であった。だから、私は前の日教組の委員長でのちに参議院議員になった小林武氏と、東京虎ノ門の共済会館で、矢次一雄氏主宰の国策研究会で、「日本の教育について」討論会をしたのであった。このことについてはまた詳細に書く機会があると思うが、とにかくその時に私が、小林武日教組委員長の意見を完膚なきまでに粉砕したのであった。

 そのことを当時の文部大臣であった荒木万壽夫氏が聞かれて、それによって文部省の日教組と対決する姿勢をとって教育の正常化の方針を打ち出し、道徳教育をしなければならないということになったのである。文部省はそういう方針を決めたが、実際に学校で道徳教育が実施されているかどうかは疑問である。

 第一に、教師自身が、終戦後、愛国心も道徳心も否定した教育を受けて教師になっているのであるから、道徳教育をやれと言われても、道徳とは何かということすらわからないのであるから、学校で教育ができるはずがない。

 終戦後の教育がどんなに歪められているか示す顕著な例を示そう。昭和五十一年四月和歌山で研修会が開かれた時、私が閉会のあいさつの中で、丁度選挙前でもあったので、

 「正法を学ぶ者の最低の政治常識は、とにかく世の中がどう変わろうとも、誰が内閣をとっても、全国津々浦々でどこでも正法が説かれるという状態にはして置かなければならないということである。その点において、宗教を否定して共産革命を意図している政党に政権を渡してはならないということである」

と言ったのであった。これに対して年配の人達は盛んな拍手を持って応えて下さったが、若い者達は何のことかわからないといった風であった。

 この後、九州の青年リーダー研修会の時に、講師をしていたTK氏とTT氏が「日本は愛する資格はない。今頃、日本の国を愛するなんてナンセンスです」と言ったのである。そこで「君たちは終戦の時、何歳だったのか、君たちの年代がいちばん日教組の先生からそういう教育をうけた年代だ。日本人が日本の国を愛さなくて誰が日本の国を愛するのか、ましてや、高橋信次先生が日本人として生まれて、この日本を正法の国にしなければならぬといっていられたからにおいておやである」と言ったのである。

 
正法はすべてを愛する道である。その国に生まれた人達は、自分が生まれたその国を愛することによってはじめて世界平和に参加できるのである。それ以外に世界平和に参加できる道はない。

 いかに歪められた教育の弊害が恐ろしいか、いったん歪められた教育の弊害を修正するには何十年も、一世代だけでなく二世代も三世代もかかることになる。だから教育は最初から正しい教育をしなければならないのである。親を泣かせる子供達が最近沢山出てきたのも間違った教育のせいである。親不孝者であって国家の秩序に破壊者をつくる教育が正しい教育であるはずがないし、また、そういう人を正法の人というわけにゆかないのである。



【 西洋は日本を再認識しつつある 】


 アインシュタイン博士が、「文明は進むだけ進み、そこで行き詰まる。そして人類はアジアの東方、日本という国に目を向けるだろう。我々は、神に感謝しなければならぬ。それは日本という国をつくっていて下さったことを」と言われた話は有名であるが、今はこのことを多くの日本人は知らない。

西ドイツは敗戦後の復興のバックボーンとして日本の「教育勅語」を使った。西ドイツの学校は校長室に、「教育勅語」が掲げてあり、「教育勅語の精神」を子供たちに教えた。

トインビー博士は、「西洋の人々がキリスト教を唯一最高の宗教だと思ってきたことは思い上がりである。近世の西洋文明が世界史の中で飛び抜けているように思っているのも思い上がりである。高等宗教はすべて東洋から生まれた。」と言っている。

アメリカでは、世界最高の育児法は終戦前の日本のお母さん達が、おんぶしたり、抱っこしたりして、乳房を含ませていたあの方法であるといって日本式育児法を採り上げつつある。また、世界一の健康食は日本食であるといっている。

吉野家の牛丼やラーメン屋が大繁盛であるのも、アメリカ人の日本指向の現れである。また日本の布団は世界一健康的、合理的な寝具である。くるくる巻いて押し入れに入れれば部屋は広く使えるし、手軽に日に干すことが出来るがベッドはそうはいかない、といって布団を使う人が増えている。

日本人は、猿芝居であったアメリカ占領軍の演出した極東軍事裁判によって「日本のものは全て悪いものである」という劣等感に陥ってしまった。

西洋がこれまで造り上げた思想によって西洋が平和になることは絶対にない。これから世界がますます混乱してくると、西洋の人々は必ず東洋にその精神的支柱を求めてくる。東洋というと日本ということになるが、日本人は一体西洋の人々に何を与えることが出来るのであろうか。

西洋の人々が、「日本の神道とは何ですか」と聞いた時に、「神道」についてはっきり答え得る日本人が何人あるだろうか。ここで仏教特に禅についてちょっとふれて置きたい。

現在アメリカには坐禅やヨガの道場が三百ヵ所以上あって、約四~五百万人が坐禅やら瞑想をやっているという。坐禅と言えば結局日本の禅宗の坊さん達に習ってやっている訳であるが、日本の坊さん達が「空」に引っかかって禅の極意がつかめないと同じように、アメリカの東洋指向の坐禅をやっている人達も、日本の坊さん達が突き当たっている壁と同じ壁に突き当たっているのである。だから仏教においては現在の日本仏教の壁を破るものが必要になってきているのである。その壁を破るのは「正法」しかない。



【 神道の世界観 】


 アインシュタイン博士やトインビー博士が絶賛していられる日本の神道とはいかなる宗教なのか。日本人は忘れてしまっている。歪められている。日本人は神道というと、すぐ神社を想像するが神社は日本古来の神道ではない。

 
古神道とは、神殿も、鏡も、その他装飾物もない。ただ、神がつくられた自然だけがあった。古神道は大自然を神の神体として、大自然に感謝し、大自然の法則に従って生活することを旨とした。大自然の神を礼拝する場所を「磐境」(いわさか)といい、神霊の降臨を願う憑代(よりしろ)を「神籬」(ひもろぎ)といった。



≪ イ - 古神道は生命を礼拝する ≫

古神道は大自然そのものを神の神体として礼拝し、また大自然の法則に学ぶ宗教である。だから万生万物はすべて神の生命なのであるから古神道は万生万物の生命を大事にするのである。一物一草といえども粗末にしないのである。日本人の「もったいない」という精神、言葉はここから生まれたのである。

終戦後「もったいない」といって物を大事にする習慣がなくなり、なんでも使い捨てになってきたのは残念である。中味を売るよりも包装代まで売る過剰包装がふえてきた。「省エネ時代」と騒がれるがそれには日本人が大昔から持って来た「もったいない」という心に帰ることである。



≪ ロ - 古神道は戦争を否定する ≫

古神道は万生万物を大宇宙神霊の顕現として礼拝するのであるから古神道はもっとも純粋な平和思想である。万物各々処(ところ)を得せしめるというのが日本の精神である。
日本人は「武」の精神を永く誤解してきた。それは永い戦国時代を通過したせいであって本来の日本の「武」は、「戈(ほこ)を止める」即ち相手が兵器を使ってこちらに危害を加えようとする場合、素手では対抗できないから、相手がこちらに危害を加えようとするのを止めさせるために、こちらも相手の力を押さえるための準備をしなければ、むざむざこちらが殺されることになるということなって、本来「武器」とはそういうものであって、相手を侵略したり攻撃したりするために持つのではないのである。

「神武天皇」という御名は、「神の心によって、相手が神の心に反して反抗し危害を加えようとするのであったら、それを言向(ことむ)け和(やわ)して相手を神の心に随がわせる天皇」という意味である。事実その通りになさったのである。

西洋の国々が武器を持ったのは他国を攻撃し侵略するためであったが、日本が武器を持ったのは平和を守るためであった。家も戸締りをよくしてあると泥棒にも入られないが戸締りが悪いと入られてしまう。人間は本来、神の子であるから本質的に悪人は一人もいないのであるが、しかし現実には、神の子の本質を知らずに隙があったら泥捧しようと考えている人間もいるし、また、それまではそうでなくても、戸締りがしてないのを見て、ふと出来心を起して盗みに入るという人もいるのであるから、そういう出来心を起させないためにも戸締りは厳重にする必要があるのである。

それと同じように武器を持たないと平気で他国に侵入する国がある以上、日本も自衛力は持たなければ仕方がないのである。



≪ ハ - 古神道は明るい心を喜ぶ、祭りの心 ≫
日本人は信仰というとすぐ暗いイメージを心に描く。それは歪められた仏教のせいである。神道では「祭り」を行事とする。「祭り」というものは本来、神の心と自分の心をまつり合せて調和させるというためのものである。
神は大生命であり大光明であるから、その神の心に合せるのが「祭り」なのであるから、神に合せた人の心は明るく清らかでなければならない。だから神杜の祭りは明るいのである。元来、仏教も明るさを旨とするのである。スリランカ、ビルマ、タイ等のお寺が明るいのはそのためである。日本のお寺が暗いのは釈尊の教に反しているのである。

神道に「雄叫(おたけ)び」という行事がある。
早朝、太陽に向かって大きな声で
 「あな、清明(さあ)け、あな、面白(おもしろ)、あな、楽(たの)し」と叫んで
 最後に、「おけ~」と大声を発して「あつはは、あつはは」というのである。

 底抜けに明るい心、」それが古神道である。



≪ ニ - 古神道は正しく直くということを尊ぶ ≫

日本人は「おてんとさまが見てござる」といって自分一人であっても、神の心にそむかないようにと自分の行動を正しくしてきた。自分独りで行く道を正しくする。
だから昔は借金しても借用証は書かなかった。書くにしても「万一支払いできない場合は万座の中でお笑い下されたく候」ということですんだ。
幕末に日本に来た外国人が「日本は礼儀正しい紳士の国である」と本国に書き送ったのは古神道の精神が生きていたからである。

釈尊が説かれた自己確立の道、八正道と、古神道は同じである。
正しく見る、正しく思う、正しく語る、正しく仕事をする、正しく生活する、正しく精進する、正しく念ずる、正しく禅定するは、古神道の道でもある。

※ 直く(なおく):真っ直ぐにする意



≪ ホ - 古神道には偶像がない ≫

イで述べたように、古神道は宇宙大生命そのままを礼拝するのであるから、偶像がない。釈尊も偶像を拝んではならないと説かれた。古神道と仏法は本来一つのものである。



≪ へ - 古神道は自己確立を尊ぶ ≫

「天知る、地知る、我知る」即ち「自己を直くする」というのが古神道で教えるところである。「天地に恥じない」というのが日本人の根源である。これは釈尊が説かれた自己確立の道と同じである。
「人が見ていなければ平気で悪いことをする」 「証拠がなければ罪にならない」というのは西洋の思想である。昔の日本人は「恥を知れ」ということで自分の行動を律してきた。
西洋の法律は「人間とは悪いことをするものなり」という性悪説に立っている。だから、「いかにして悪いことをさせないようにするか」という考えで条文がつくられているのである。そこからして「法律に書かれていないことは罪にならない」という考えが生じて、いかに巧妙に法の裏を潜るかということを考えるようにもなるのである。

西洋の経営は「人問は怠けもので働かないものである」という人問観が根本になっている。だから西洋式の簿記は、「どこかでごまかしをやらせないように厳重にチェツクする」という考えでつくられた。日本は、「良心に恥じることはしない」ということで社会秩序は保たれてきたし、帳面も大福帳ですんできたのである。



≪ ト - 古神道は禊を尊ぶ ≫

禊(みそぎ)とは水で禊することではなくて、霊による浄化である。神の心に立ちかえって反省をすることである。
神の心によって自分の心を洗い浄める即ち洗礼である。水でいくら禊をしても心がきれいに浄化されなければなんにもならない。
釈尊も反省の大事さを説かれた。



≪ チ - 古神道は「産霊」を尊ぶ ≫

西洋思想は「分割思想」であって「綜合」がない。細かく分割する思想が科学思想を生み出して原子爆弾を生み出した。西洋医学も人間の身体を細分化して治療しようというものである。分割して支配するというのが西洋の政治思想である。
日本人はむすばれる、一つになることをありがたいと思う。「むすび」は愛であり調和である。

古神道はすべて正法である。原点にかえれば本来は一つである。もともと、神が一つである以上、神を信ずるという信仰がいくつにも分かれる筈がない。しかし、現在は分かれている。
なぜか、それは人問の恣意が入ったからである。だから、宇宙大自然神を拝するということ、そのこと以外に神を信仰させた人は本当の信仰を説いた人ではないのである。

※ 産霊(むすひ、むすび):「むす」は生み出す、「ひ」は霊威の意。
天地万物を生み出す神霊。また、その霊妙な力。



≪ 釈尊の禅定は自霊拝(アジマリカン)である ≫

日本人が驚かなければならない事実がある。自霊拝というのは出雲の山蔭神道家に古来伝えられてきた精神統一法である。工学博士佐藤定吉氏はクリスチャンであった。キリスト教の中に世界平和の原理を求めていられたが、山蔭神道を知り、自礼拝のことを知り、自礼拝を実修していられるのが日本の天皇陛下であることを知られた時に、世界平和の原理は日本の古神道にあると確信され、「日出づる国」という本を書かれた。この佐藤博士の著書を広く弘めて真の日本精神を復興しなければと、献身的な活動をしていられるのが東京日本橋の戸田秀一先生である。二月四日上州富岡の講演に行く前に私は戸田先生と逢った。



≪ 自礼拝とはいかなる精神統一法であるか ≫

人間は神の子である。人間の生命は大宇宙大神霊の生命が一人一人の生命となったものである。神を拝むということは、自分で自分に内在する神霊を拝むということである。


釈尊の禅定がそれであった。坐禅で無念無想になれと教えているのは間違っている。私が宇宙即我を体験した時、私は決して無念無想になることをしなかった。第一回に宇宙即我を体験したのが昭和十五年であった。生長の家を本当の正しい信仰団体にしたいと思った。昭和四十年に生長の家本部直属の飛田給錬成部長になった時、私は調布市飛田給の本部道場の大広間で「自霊拝」をやった。そうして「人間の心は宇宙大の広さを持っている」ことを再々確認した。戸田秀一先生から佐藤定吉博士のことを聞き、天皇陛下が「自霊拝」を実修なさっていられることを聞いたのはその頃である。

 昭和四十八年三月、高橋信次先生に初めて逢い禅定についてご指導を受けた時、その方法は「自分に内在する神の霊を自分で拝む」という「自霊拝」であった。

 釈尊の禅定は「自霊拝」であった。

 その自霊拝を日本人で一番厳修していられるのが天皇陛下である。釈尊の禅定を天皇陛下が実修していられる。この事実を今ここに初めて発表するのである。天皇陛下は正法の実践者でいらせられたのである。日本の古神道と釈尊が説かれた正法とは本来一つである。私はこの事実を皆さんの前に発表できることは幸せである。
 日本の神道と仏教とは永い間対立してきた。日本に仏教が伝来したその当時すでに、神道家である中臣、物部氏と、伝来した仏教を信じようとする蘇我氏との間に戦いが行われた。明治維新には、神仏分離令が行われた。仏教伝来千五百年目にして初めて、神道と仏教が本来一つのものであることが明らかにされたのである。

 天皇陛下は、神道と仏法の体現者でいらせられたのである。

 私は高橋信次先生の教えを継いで、釈迦・キリストの教えを正しく伝えて行きたいと同志の方々と共に正法会を発足させた。今ここにこうして、神武天皇が阿閦(アシュク)如来であり、天皇陛下が阿育(アショカ)王であり、ついでカニシカ大王であり、天皇陛下が実修なさっていられる自霊拝が釈尊の禅定であることを発表することが出来たことに感謝せざるを得ない。
 日本の歴史上、誰も発表することのなかったこのことをここに発表することが出来たことは幸せであった。

 斯くして日本は正法国家たるべく定められていたのであるから、日本人はこのことに目覚めて日本を愛することに努力すべきである、天皇陛下のご実践に倣って天皇陛下を模範として日本人は生活をして行かなければならないのである。

(神仏分離令:1868年3月17日(明治元年)、明治政府が発布した法令。明治政府は江戸時代の仏教国教化政策を 否定し、神道の国教化政策を行うため、明治元年(1868)3月から、神社から仏教的な要素を排除しようと神仏 分離政策を行った。)


正法と神道-3 ・・・ 完





 正法誌 第20号   ( 1980年4月号 )より




2017.08.03(木曜日) UP