高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします







【 天之御柱伝 】




 昭和十八年十月、鹿児島の連隊に帰ると、一か月の休暇をもらって霧島神宮に行った。霧島神宮は天孫降臨の瓊々杵尊(ににぎのみこと)が祭神である。そこで精神統一をして、この地球上に一番最初出現した人類の心を知りたいと思ったのであった。(現在、名古屋市の尾陽神社(びようじんじゃ)・・・徳川家代々の霊を祭ってある・・・の宮司をしておられる小栗靖氏が、当時霧島神宮におられて便宜を図って下さった)神殿の直前に私は坐りつづけた。ある日用事が出来て下の社務所に行った折、たまたま古文書の話が出た。小栗氏に案内されて、古文書が納めてある書庫に入って見ているうちに「天之御柱伝」というのが目についた。

記憶しているままを記す。


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「天之御柱伝」の観法

正坐して背筋を伸ばして真直ぐに坐る。
坐っている両膝の間から下を見ると、はるか下に地球が小さくくるくる回転している。
その地球から黄金の柱が天空高く伸びて、宇宙の中心にまで高くそびえ立っている。
太陽が目の前にある。
その黄金の柱の上に今自分が座っている。
はるか下を見ると、紫の雲が棚引(たなび)いて、
その雲の切れ目から地球が小さくくるくる回っているのが見える。
すると、神の呼吸と自分の呼吸とが一体となる。
宇宙の中心に座っている自分を中心としてすべての天体が回転している。


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「あ、これは自分が体験した宇宙即我と同じではないか」

 こういう記録が残されているということは古代の日本人の神道家の中に、宇宙即我の体験をした人がいたということになる。私は、私の考えてきたことや私の体験が、正当なものであることを確かめることが出来た思いであった。太古の日本人の中に自分と同じような体験をした人があったのである。



 - 完 -

 現代の釈尊 高橋信次師とともにより






「天之御柱伝」をたずねて

1989年4月6日福岡の家を出た。・・・・・・ 中略

社務所へ行って禰宜(ねぎ)の有馬純博氏を訪ねるとびっくりして出てこられて奥の応接間に通して下さった。昭和18年10月、私がここへ来た時に世話して下さった権宮司の小栗靖氏は、名古屋の尾陽神社の宮司をしていられて昨年亡くなられた。「私がここへ来たのは昭和18年4月で、小栗さんと並んで歩かれる姿を見て、あの人が園頭大尉さんだと話して遠くから見ていたものでした。・・・」と、お互いにそれからのことをいろいろ話をした。

「実はあの時に見た『天之御柱伝』を、もう一ぺん見せてもらいたいと思ってきたのですが・・・」と言ったら、「いや、それが実に残念で、終戦になってアメリカの占領軍が、日本の神道を破壊するために〝神道指令〟を出しました。当時、食料もなくて神主が一人もいなくなった時がありました。その頃、いろいろなものが持ち去られたり、紙屑と一緒に焼かれたり、古文書はすっかりなくなって、今あるのは戦後の新しい本ばかりです。」と言われた。

 禰宜(ねぎ):神職の職称(職名)の一つ。
 権宮司:宮司は神社の代表者、権宮司は副代表。


終戦直後からもう一ぺん見たいという、思い続けてきた『天之御柱伝』は、日本人の前から永遠に姿を消してしまっていた。この本は、我々日本人の祖先の中で「宇宙即我」の悟りに到達した人があったことを示す貴重な物であっただけに残念で、しばし言葉が出なかった。

現在の日本人の中で「宇宙即我」を体験した者は自分一人であることを思う時、自分の子の体験はもっとくわしく書いて後世の人々に残さなければならないという重大な責任を感じ、昭和18年10月にここに参篭しようとふとそう思ったのも、『天之御柱伝』に出会うために天上界から指示されたようにも思えてきた。

私のために祈願して下さるというので高い神殿に昇って坐った。今は72歳になって白髪になっているけれども、当時25歳であった自分の姿を思い起こし、この神前に毎夜禅定瞑想していた頃のことを思い出していた。

 霧島の大いなる静けさの中に立ち
   四方の国人みな安かれと宣(の)る

私はこの神前で、世界の最終平和は、人間が一番最初にこの地球上に降り立った時の心に帰る以外にないことを教えられたのであった。私の師であった高橋信次先生もそう教えて下さった。
そうなるには「正法」を全世界の人々に知ってもらう以外にないのである。

『天之御柱伝』を再び見ることは出来なかったが、私はさらに「正法」を後世の人々に正しく伝えることに生命を懸けようと誓い、真の世界平和の来たらんことを祈りかつ宣言した。

神宮の社前であるから普通ならば「安かれと祈る」と詠むべきところであるが、敢えて「宣る」としたのは、天上界の神々よ、この正法の運動に協力して下さいという祈りと同時に、全世界の人々よ「早く正法に目覚めよ」と呼び掛け、心の中で叫んだからである。 

今年になって、「先生、無理しないように、一年でも永く、長生きして下さい」と言って下さる方が増えて来て有難く思ってきたが、改めて自分自身、また永生きすることの必要性を思うことであった。


 - 完 -


 正法詩 131号  1989年7月

 『天之御柱伝』をたずねてより抜粋





2017.08.03(木曜日) UP